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【闘病】まさか肩の痛みが「高安動脈炎」(指定難病)だったなんて

 公開日:2023/06/16
【体験談】まさか自分が難病なんて。肩の痛みではじまった「高安動脈炎」

高安動脈炎(たかやすどうみゃくえん)」とは、大動脈を中心とした大きな血管に起きる炎症によって、 血管に狭窄や閉塞が生じ、脳、心臓、腎臓などの重要な臓器に障害を与えたり、手足が疲れやすくなったりする原因不明の自己免疫疾患です。堀内愛華さんは高校1年生で高安動脈炎を患い、これまでに理不尽な想いや不公平だと感じることもたくさん経験したと言います。「そのおかげで粘り強くなったように思います」と強く語る堀内さんに、闘病体験について詳しくお話を聞きました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年4月取材。

堀内 愛華

体験者プロフィール
堀内 愛華

プロフィールをもっと見る

神奈川県在住、1998年生まれ。父・母・兄・祖父と同居中。高校1年生の2014年5月頃から肩の痛みを感じ始め、整形外科を受診し、「五十肩」と診断される。その後高熱が出て「川崎病」と診断され入院。治療を試みるも症状はよくならず、同年7月に転院した大学病院で「高安動脈炎」との診断を受ける。現在は体調に波がありつつも、以前よりは落ち着いている。2021年3月には、17歳の頃に書き上げた闘病記「理不尽な世界〜私は屈しない〜」を出版(Amazonのみの出版)。SNSでは病気の啓発活動を行っている。

副島 裕太郎

記事監修医師
副島 裕太郎(横浜市立大学医学部血液・免疫・感染症内科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

肩の痛みから始まった高安動脈炎

肩の痛みから始まった高安動脈炎

編集部編集部

高安動脈炎と診断されたときの経緯について教えてください。

堀内 愛華さん堀内さん

始めは肩の痛みから始まりました。あまりの痛みに夜も眠れないほどで、整形外科を受診すると「五十肩」と診断されました。湿布や痛み止めの薬を処方してもらい、しばらく通院していましたが症状はいっこうに良くならず、微熱も出るようになりました。全身の倦怠感、胸の動悸、ついには40度を超える高熱に襲われて、夜間診療所に行きました。

編集部編集部

そこで高熱の原因はわかったのでしょうか?

堀内 愛華さん堀内さん

原因はわかりませんでした。翌日、母が勤めている病院へ行き、CRP(C-リアクティブプロテインというたんぱく質。体内で炎症が起きると増加する)が高いことから「川崎病」と診断され、入院しました。

編集部編集部

結局、どうのようにして「高安動脈炎」の病名が付いたのでしょうか?

堀内 愛華さん堀内さん

免疫グロブリン療法を受けましたが、症状は良くならず、大学病院へ転院することになりました。血液検査、CT、MRI、心電図、超音波などを受け、そこで診てくださった医師が、血圧の左右差、左腕の脈が触れないことに気づき、検査後、左鎖骨下動脈が狭窄していることも分かり、「高安動脈炎」と診断されました。

編集部編集部

どのように治療を進めていくと医師から説明があったのでしょうか?

堀内 愛華さん堀内さん

ステロイドによる投薬治療で経過を見ていきましょうと言われました。私の場合、HLA(ヒト白血球抗原)-B52が陽性だったとのことで、より慎重に経過を見ていました。

編集部編集部

HLA-B52の陽性とは、どのような状態を指すのでしょうか?

堀内 愛華さん堀内さん

HLAとは簡単に説明をすると白血球をはじめとする細胞の血液型を表す分子のことで、それに関係する遺伝子の組み合わせで決まります。このHLAを知ることで、どの病気にかかりやすいかを知ることができます。「HLA-B52」は、高安動脈炎と潰瘍性大腸炎になりやすいと言われています。そして、高安動脈炎ではHLA-B52が陽性の患者は陰性の患者よりも強い血管炎を生じる傾向があると言われていて、再燃もしやすいそうです。

編集部編集部

病気が判明したときの心境について教えてください。

堀内 愛華さん堀内さん

初めて医師から病名を告げられた時、私の頭の中は「?」で埋め尽くされていました。初めて聞く病名でしたし、その時はまさか難病だなんて夢にも思っていませんでしたね。まったくショックは受けなかったのです(笑)。

編集部編集部

どのような病気がわからなければ実感がないですよね。

堀内 愛華さん堀内さん

どこか他人事のような感じでした。私はそれまでの15年間、ずっと健常者として過ごしてきたので、それが今日から難病者になるなんて、当時の自分には理解することはできませんでしたし、実感が湧かなかったのでしょう。そのうち嫌でも知ることになるのですけどね。

ステロイドの副作用に悩まされた闘病生活

ステロイドの副作用に悩まされた闘病生活

編集部編集部

発症してから生活面ではどのような変化がありましたか?

堀内 愛華さん堀内さん

ステロイドを投与してからは、まず筋力の低下に悩まされました。足の筋力が顕著になくなってしまい、走ることができなくなりました。しゃがんだ状態から立ち上がることもできなくなり、何か物に捕まったり、誰かに助けてもらったりしないと立ち上がることができなくて、学校では友達に手を貸してもらっていました。骨が脆くなっていたこともあり、体育はずっと見学していましたね。一時期は階段も登れなくなって、車椅子に乗っていました。

編集部編集部

手の震えも起きていたそうですね。

堀内 愛華さん堀内さん

はい。手の震えが酷くて、箸を持つ手が震えて上手く食べることができなかったり、文字を書くときも震えてしまったりしました。今も筋力は低下したままで、激しい運動や、走ることはできませんが、手先の震えはだいぶ良くなりましたね。

編集部編集部

そのほかにはどのような変化がありましたか?

堀内 愛華さん堀内さん

私が一番気にしていたのは体重が増えることでした。実際、ステロイドを内服するようになってから最大25kgほど増えました。あれからステロイドを減らして、だいぶ体重も戻りましたが 次は皮膚が伸びてたるんでしまったことが悩みです。それと、ステロイドによる副作用で最も多いムーンフェイスです。あれはどんな人でもショックを受けると思います。正直なところ、薬の副作用もですが、膠原病特有の倦怠感や体の痛みのほうが辛いですね。これだけは一生の付き合いになるでしょうし、付き合っていくしかないと思っています。痛みのある生活の中でも毎日を必死に生きております。

編集部編集部

高校へは通えていたのでしょうか?

堀内 愛華さん堀内さん

発症後は高校にあまり通えなくなり、午前中のみや午後のみ授業に出たり、途中で体調を悪くして保健室へ行ったりしていました。在学中に2度目の再燃をし、入院しました。退院後は高校に通うことはなく3年生になり、その後も通うことはありませんでした。

編集部編集部

3年生のころにはステロイドの副作用で目の手術をしたそうですね。

堀内 愛華さん堀内さん

はい。白内障と緑内障になってしまい、両目の手術をしました。高校卒業後は、大動脈弁閉鎖不全症、右膝の骨頭壊死になりました。

他人と比較する生き方ではなく自分にしかできない人生を歩んでほしい

他人と比較する生き方ではなく自分にしかできない人生を歩んでほしい

編集部編集部

病気と向き合っていく上で心の支えになっているものを教えてください。

堀内 愛華さん堀内さん

私の場合は、やはり家族の存在が一番大きいですね。今こうして自分が存在できているのも家族のおかげだと思っています。私は家族がいなければきっと生きていなかったでしょうし、生きることを諦めていたと思います。家族の存在が自分にとって生きる原動力となっていました。

編集部編集部

それは大切な存在ですね。

堀内 愛華さん堀内さん

もちろん、衝突することもたくさんありました。それでも、今日まで生かしてくれた家族のことを私は愛しています。家族が生きているうちは生きよう。それが私の生きる意味だったのです。でも、今は家族以外にも友達や同じように病気で苦しんでいる人たちなど、たくさんの人たちからの支えがあって生きることができています。私のことを支えてくださる人たちへの感謝の気持ちを忘れずに生きていこうと思います。

編集部編集部

現在の体調や生活などの様子について教えてください。

堀内 愛華さん堀内さん

発症から8年が経ち、23歳になりました(2022年3月現在)。現在は、プレドニゾロン9mg/日、そのほかもたくさんお薬で治療を行っています。アクテムラの自己注射もしています。2月に2度目の緑内障の手術(両目)をして、今は点眼薬も多く、それも大変ですね。術後は痛みだけでなく、眼帯生活がとても辛かったです。ですが、おかげで目が見えることのありがたさを改めて思い知ることができましたし、自分にとって良い経験になったと思います。

編集部編集部

あなたの病気を意識していない人にメッセージをお願いします。

堀内 愛華さん堀内さん

病気を理解できないことは、仕方ないことだと思っています。 痛みや苦しみは本人にしか分かりませんから、それをほかの人が理解することはとても難しいことです。でも、理解しようと努力して下さる方もいて、そういう方には私も誠心誠意向き合い、病気について知ってもらいたいと思っています。やはり、自分の病気について知ってほしい気持ちはありますし、もっと多くの人たちに認知してもらえたらとも思います。読者さんにも「高安動脈炎」という病名だけでも覚えてもらうことができたら幸いです。

編集部編集部

医療従事者に望むことはありますか?

堀内 愛華さん堀内さん

まず私がこうして難病を患いながらも生きることができているのは医療従事者の皆さんが治療をして下さるおかげです。望むことがあるとすれば、どうか、しっかり話を聞いて、一人ひとりの患者に寄り添っていただけたらと思います。

編集部編集部

最後に、読者や病気と闘っている人たちに向けてのメッセージをお願いします。

堀内 愛華さん堀内さん

どんなに努力をしても全てが報われるわけではありませんでしたし、たくさんの挫折、失敗も経験してきました。諦めたこともたくさんあります。それでも、今までの経験に無意味なことなんて一つもなくて、努力も無駄になることはないと信じています。まずは、自分にできることとできないことを知り、限界を超えないようにしてください。また、頑張ることを頑張ろうとしないでください。頑張れないときは頑張らなくていいと思います。あなたはあなたの軸を持って生きてください。他人と比較する生き方は私たちには合いません。きっとあなたにしかできないことがあるはずです。そして生きることを諦めないでください。諦めることはいつでもできます。一緒に今を生きていきましょう。

編集部まとめ

今回取材させていただき、堀内さんの口から発せられる言葉はとても前向きなものが多いことに驚きました。きっとここまで辿り着くまでにはさまざまな葛藤があったことと思います。私たちにできることは、「高安動脈炎」という難病があることを知ること。お互いが相手を理解しようと努力することが大切なのだと改めて感じました。

この記事の監修医師