【体験談】「生涯の仕事」を辞めざるを得なかった「多発性硬化症」とは
2003年に多発性硬化症を発症したのんこさん(仮称)。発症当初は二日酔いのような状態が続き、通勤時はホームを真っ直ぐ歩行できず、危険な体験をすることもあったそうです。闘病生活を送るために仕事も変えたものの、そこからも徐々に歩行が不安定になったため、現在は自宅で私塾を開校しているといいます。そんな彼女に多発性硬化症とはどのような病気なのか、どんな治療をおこなっていくのかについて、話を聞かせてもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年2月取材。
体験者プロフィール:
のんこさん(仮称)
神奈川県在住。1980年生まれ。夫と息子との3人暮らし。2003年に多発性硬化症を発症。診断時は国立大学非常勤職員。小学校教員を経て、現在は私塾を開いて子ども達に学びを広めている。
記事監修医師:
出口 誠(医師)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
目次 -INDEX-
発症から治療について
編集部
多発性硬化症にはどのような症状があるんですか?
のんこさん
突然「目が見えなくなる」「腕や脚が麻痺して上がらない」「お風呂に入ってもお湯の温度を感じない」といった症状があります。そのほかにも、首を前に曲げると足先までじんじんとしたしびれがあったり、排尿障害や便秘、ふらふらして歩けなくなるなどの症状が出たりする場合もあります。年に何度も再発をくり返す人もおられるようで、その度に入院治療が必要になります。完治する場合もありますが、少しずつ後遺症が出て車椅子生活や寝たきり状態になる方もいるようです。
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
のんこさん
2003年ごろに二日酔いのような状態が続いて、真っ直ぐ歩くことが困難になりました。そこで地元の病院で整形外科と内科を受診し、勧められた髄液検査を受けたところ難病の疑いとなり、その後「多発性硬化症」の病名が確定しました。
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
のんこさん
「これからどうなっちゃうの?」と不安でした。当時はパートナーもおらず、若かったので、今後の人生についてもすごく考えました。
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
のんこさん
18年前は「これから日本でも研究が進んでいくと思うので、まずは現状を保っていきましょう」と言われました。主にステロイドパルス治療をしていました。発症時と半年後の入院時は、ステロイドパルスを3クールして退院しました。その後は、土曜外来を実施している病院にかかり、しびれがある時にはプレドニン2錠を服薬していました。その後別の担当医のもとで約3年間ジレニアという薬を服薬しました。しかし、ジレニアは身体に合わず、やがて転院することになり、転院先では自己注射のケシンプタを週1回投与する方針に変更となりました。ちなみに、転院先で出会った先生は、一生ついていこうと思えた先生で、現在の主治医です。
編集部
歩くためのリハビリなどは行いましたか?
のんこさん
7~8年前、ロボットを用いたリハビリを行うセンターへ通い、HALという腰から足に装着するタイプの機械で歩行練習をしました。それは足裏から腿まで身体からの微弱電流を感知して、歩行を助けてくれる機械でした。4年前には現在の主治医に勧められ、大分の病院に2週間リハビリ入院をすることもありました。
発症後は生活に大きな変化が
編集部
現在の体調や生活などの様子について教えてください。
のんこさん
右半身麻痺で身体障害者手帳2級を発行されました。歩行が困難なため、つたい歩きや専用のイスを押しながら家の中を移動しています。そういう状況なので、読書量が増えましたね。
編集部
病気により日常にどんな変化がありましたか?
のんこさん
発症後も身体に症状が出ていない間は、生活の変化を感じることはありませんでした。しかし、運動麻痺が出てからは、車椅子の使用、お風呂のリフォーム、バルコニーに出るための階段設置の必要がありました。また、小学校教員の仕事も歩行が安定しなくなったため、元気あふれる子どもたちの安全を守ることができないと考え、退職しました。多発性硬化症発症後に結婚や出産を諦め、一生涯の仕事にしたいと覚悟をして就いた職業だったので、体調が良ければ続けたかったです。ただその後、結婚と出産を経験することができました。
編集部
現在、仕事はどうされているんですか?
のんこさん
子どもの小学校入学を機に、自宅で塾を立ち上げました。学習障がいと判断された子や外国籍の子にマンツーマンで指導しており、とても楽しく過ごせています。通院日である月曜日以外は開校しています。
編集部
治療中の心の支えはなんでしたか?
のんこさん
独身のときは仕事が支えでした。小学校教員時は、教え子からエネルギーを貰いました。結婚、出産後の心の支えはやはり家族ですね。また、塾に通ってきてくれる子どもたちも大切な存在となっています。
編集部
現在はどのような治療を受けられていますか?
のんこさん
ステロイド剤、筋弛緩剤、その他数種類の薬を服用して、MRI検査も定期的に受けています。また、訪問リハビリを週3日受けています。日々取り組んでいることは、体調を崩さないように、無理せずできる運動や行動を心掛けています。
闘病というよりも共病
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
のんこさん
とても良くしてもらっていると思うので特にありません。世の中には色々な病気があります。私もなりたくてなった病気ではないですが、周りの人たちの支えもあり、私自身のできることも増えました。
編集部
この記事の「闘病」という言葉に意見があるそうで。
のんこさん
私の場合「闘病」という言葉に小さな違和感を覚えます。病気には「かわいそう」「こわい」というイメージがあるかもしれませんが、私は自分がそのどちらにも当てはまらないと思っていますし、支えられながら、ありがたいことに幸せに生きています。私の場合、「共病」と言った方がニュアンスは近い気がしています。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
のんこさん
何ごとも選ぶのはいつも自分だと思うので、「人のせいにしない」というのが信条です。きっと人それぞれですが、私は人生を楽しめています。
編集部まとめ
多発性硬化症を発症し、当時勤めていた職場を変えられました。その後、結婚を諦め、一生働く決意をして転職されましたが、体調の悪化から自主的に退職されました。現在では、自宅で塾を開き、「身体がうまく動かせなくなり、不自由なことも多いですが、決して不幸ではありません。」とお話くださいました。今後も、共病しながら子どもたちのために学びを広めていっていただきたいですね。