【体験談】風邪と思っていたら失明 「SLE」治療中に別の難病も発症(1/2ページ)

全身性エリテマトーデス(SLE)を罹患した中林さんは、発症当初は今のようにインターネットも普及しておらず、情報が得にくい状況で、不安な闘病生活を送っていました。そんな中林さんに、当時の治療や現在までの苦労について話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年1月取材。

体験者プロフィール:
中林ゆみ
大阪府泉南郡在住。1965年生まれ。既婚。夫と2人暮らし。子どもは2人いるが独立している。診断時の職業は主婦。3年前より起業し、オンライン手話教室を開催している。現在、体調は落ち着いており、内科、眼科、整形外科に定期的に通院中。

記事監修医師:
副島 裕太郎(医師)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
中林さんが患った全身性エリテマトーデスとは

編集部
全身性エリテマトーデスとはどのような病気ですか?
中林さん
全国に約6~10万人程の患者がいて、20~40歳の女性に多いと言われている自己免疫疾患です。膠原病の一つになります。症状は人によって違い、発熱から急に発症する場合もあれば、数ヶ月から数年かけて徐々に現れる場合もあるそうです。
編集部
どのような症状が出るのでしょうか?
中林さん
ほとんどの場合症状は軽く、皮膚や関節に症状が現れますが、ひどくなると最終的には、さまざまな器官にも症状が現れる病気です。
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
中林さん
2人目出産後3ヶ月ほど経過したころ、風邪で病院を受診しました。数日間薬を飲みましたが改善せず、再度受診しました。その際、血液検査を受けて全身性エリテマトーデスが判明し、即入院となりました。
編集部
医師からの治療説明や実際の治療について聞かせてください。
中林さん
最初の入院では意識はあったはずなのですが、自身の記憶があまりありません。説明を聞ける精神状態ではありませんでした。ところどころ覚えていることとしては、ずっと点滴を受けていた記憶があります。また、目に異常が出ていたことは覚えています。
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
中林さん
3歳と0歳の子どものことで頭がいっぱいでした。目も見えづらく、何かをゆっくり考えるという余裕はありませんでしたね。長期入院時は、このまま退院できないのではないかと不安に思っていました。
編集部
病気について相談できる相手はいましたか?
中林さん
当時、携帯もない時代でしたので、情報収集や誰かに相談することも簡単にはできず、辛かったです。家族に連絡するにも、公衆電話だったので費用も高く、あまり連絡もできなかったのを覚えています。主人と子どもは、主人の実家に帰っていたので、申し訳ない気持ちになりました。
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
中林さん
目がほぼ見えず、筋力も落ちて階段も上れなくなりました。家に帰ることもできなくて、精神的にもダメージが大きかったです。退院しても家事や育児ができないので、しばらく自分の実家で暮らしました。 見えないし、体力がないので、何もできない毎日を過ごしていました。
編集部
その後、目は見えないままなのですか?
中林さん
左目はほぼ見えないままですが、眼科でレーザー治療を受けて、右目はなんとか日常生活が送れるくらいまでには見えるようになりました。
再燃から余命宣告を受ける

編集部
その後、症状は落ち着きましたか?
中林さん
しばらくは良かったのですが5年経ってから、高熱を繰り返す症状が出るようになり、主治医の診察を受けました。すると、再燃していて、即入院となりました。私はそのときの記憶もないのですが、後になって主人から命の危険もあると告げられていたことを聞きました。
編集部
再燃してからはどのように治療は進んだのでしょうか?
中林さん
入院してずっと点滴を受けていました。退院後は、10種類以上の薬を内服していました。目が見えなかったので自分では薬の管理ができず、高齢の母に助けてもらっていました。その後は、免疫抑制剤エンドキサン、プレドニン、そのほかにも多数服用していました。
編集部
退院後はどのように過ごされていたのでしょうか?
中林さん
37歳の時、突然股関節が痛くて足を踏み出せなくなりました。特発性大腿骨頭壊死症との診断で、いきなりの杖生活です。長くは歩けず、股関節が曲がらないため運転もできなくなりました。椅子に座るのも立つのもかなり時間がかかるようになりました。やがて、39歳のときに、人工股関節の手術を受けました。
編集部
原因はわかっているのでしょうか?
中林さん
SLEの合併症かステロイドの大量投与かどちらかが原因だと医師から聞きました。それまではステロイドを服用していましたが、そこから1〜2年の間に、ステロイドは使わなくなりました。医師が特発性大腿骨頭壊死症を考慮し、ステロイドを使わない方向へ切り替えてくれました。