【体験談】風邪と思っていたら失明 「SLE」治療中に別の難病も発症
全身性エリテマトーデス(SLE)を罹患した中林さんは、発症当初は今のようにインターネットも普及しておらず、情報が得にくい状況で、不安な闘病生活を送っていました。そんな中林さんに、当時の治療や現在までの苦労について話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年1月取材。
体験者プロフィール:
中林ゆみ
大阪府泉南郡在住。1965年生まれ。既婚。夫と2人暮らし。子どもは2人いるが独立している。診断時の職業は主婦。3年前より起業し、オンライン手話教室を開催している。現在、体調は落ち着いており、内科、眼科、整形外科に定期的に通院中。
記事監修医師:
副島 裕太郎(医師)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
中林さんが患った全身性エリテマトーデスとは
編集部
全身性エリテマトーデスとはどのような病気ですか?
中林さん
全国に約6~10万人程の患者がいて、20~40歳の女性に多いと言われている自己免疫疾患です。膠原病の一つになります。症状は人によって違い、発熱から急に発症する場合もあれば、数ヶ月から数年かけて徐々に現れる場合もあるそうです。
編集部
どのような症状が出るのでしょうか?
中林さん
ほとんどの場合症状は軽く、皮膚や関節に症状が現れますが、ひどくなると最終的には、さまざまな器官にも症状が現れる病気です。
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
中林さん
2人目出産後3ヶ月ほど経過したころ、風邪で病院を受診しました。数日間薬を飲みましたが改善せず、再度受診しました。その際、血液検査を受けて全身性エリテマトーデスが判明し、即入院となりました。
編集部
医師からの治療説明や実際の治療について聞かせてください。
中林さん
最初の入院では意識はあったはずなのですが、自身の記憶があまりありません。説明を聞ける精神状態ではありませんでした。ところどころ覚えていることとしては、ずっと点滴を受けていた記憶があります。また、目に異常が出ていたことは覚えています。
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
中林さん
3歳と0歳の子どものことで頭がいっぱいでした。目も見えづらく、何かをゆっくり考えるという余裕はありませんでしたね。長期入院時は、このまま退院できないのではないかと不安に思っていました。
編集部
病気について相談できる相手はいましたか?
中林さん
当時、携帯もない時代でしたので、情報収集や誰かに相談することも簡単にはできず、辛かったです。家族に連絡するにも、公衆電話だったので費用も高く、あまり連絡もできなかったのを覚えています。主人と子どもは、主人の実家に帰っていたので、申し訳ない気持ちになりました。
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
中林さん
目がほぼ見えず、筋力も落ちて階段も上れなくなりました。家に帰ることもできなくて、精神的にもダメージが大きかったです。退院しても家事や育児ができないので、しばらく自分の実家で暮らしました。 見えないし、体力がないので、何もできない毎日を過ごしていました。
編集部
その後、目は見えないままなのですか?
中林さん
左目はほぼ見えないままですが、眼科でレーザー治療を受けて、右目はなんとか日常生活が送れるくらいまでには見えるようになりました。
再燃から余命宣告を受ける
編集部
その後、症状は落ち着きましたか?
中林さん
しばらくは良かったのですが5年経ってから、高熱を繰り返す症状が出るようになり、主治医の診察を受けました。すると、再燃していて、即入院となりました。私はそのときの記憶もないのですが、後になって主人から命の危険もあると告げられていたことを聞きました。
編集部
再燃してからはどのように治療は進んだのでしょうか?
中林さん
入院してずっと点滴を受けていました。退院後は、10種類以上の薬を内服していました。目が見えなかったので自分では薬の管理ができず、高齢の母に助けてもらっていました。その後は、免疫抑制剤エンドキサン、プレドニン、そのほかにも多数服用していました。
編集部
退院後はどのように過ごされていたのでしょうか?
中林さん
37歳の時、突然股関節が痛くて足を踏み出せなくなりました。特発性大腿骨頭壊死症との診断で、いきなりの杖生活です。長くは歩けず、股関節が曲がらないため運転もできなくなりました。椅子に座るのも立つのもかなり時間がかかるようになりました。やがて、39歳のときに、人工股関節の手術を受けました。
編集部
原因はわかっているのでしょうか?
中林さん
SLEの合併症かステロイドの大量投与かどちらかが原因だと医師から聞きました。それまではステロイドを服用していましたが、そこから1〜2年の間に、ステロイドは使わなくなりました。医師が特発性大腿骨頭壊死症を考慮し、ステロイドを使わない方向へ切り替えてくれました。
諦めない気持ち
編集部
治療中の心の支えはなんでしたか?
中林さん
家族です。子どもが小さかったので、何とか子どものためにと考えていました。
編集部
昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?
中林さん
当時は楽しみも何も考える余裕などなく、生きているだけで精一杯でした。でも「笑うこともできなかったけれど、諦めなければ楽しく笑える幸せな日々がきっと来るよ」と伝えたいです。
編集部
起業されたと伺いました。
中林さん
まさか仕事ができるなんて思ってもいませんでしたが、3年前から勉強して、現在は手話講師として活動しています。54歳で起業することができました。 2020年からオンラインで手話のレッスンをしています。
編集部
体調はかなり良くなったということですか?
中林さん
体調は落ち着いています。内科にはずっと通院していて、ステロイド治療はないものの、服薬は継続していますね。疲れやすいため無理はできませんが、オンラインメインの仕事になったので、少し楽になりました。早め早めの対処で体調コントロールをしています。
編集部
目や脚は回復したのでしょうか?
中林さん
左目は見えないままですので、どこかに左半身をぶつけるときがあります。夜は見えにくい状況ですが、できないことは伝えるか控えるようにしてコントロールしています。人工股関節は、手術当初、一生杖生活になると言われていました。しかし、今は杖もなく、ゆるいダンスもできるようになりました。
編集部
運動することも体に良いでしょうからね。
中林さん
趣味でまさかできるようになるとは思っていなかったダンスを、50歳を過ぎてから学び始めました。ジャンプしたり、走ったりはできませんが、可能な範囲で楽しんでいます。脚の状態が良くなったのは、無理のない範囲で筋トレをしていたおかげではないかと思います。 整形外科の先生にもできる運動の仕方を聞いて、取り入れるようにしています。50歳くらいから、これまで筋トレを続けてきました。37歳のときに、80歳台の骨密度と言われましたが、現在では歳相応の骨密度に戻っています。
編集部
あなたの病気を意識していない人に一言お願いします。
中林さん
身体の不調があるときには「まだできる」「もう少しできる」と頑張りすぎないでください。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
中林さん
医療従事者の方々には、感謝の気持ちでいっぱいです。私自身はとてもいい方々に接していただいています。いつも気遣っていただいていますし、声かけひとつで、気持ちがとても楽になることがありました。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
中林さん
心と身体は繋がっています。心が元気でないと、身体も元気になれないと私は実感しました。ストレスを感じ続けたり、我慢やごまかしで無理を続けたりすると良くないというのが私の経験です。私の場合、心の健康を保つには、人との関わりが大きかったと思います。人とのご縁のおかげで今の私があります。
編集部まとめ
中林さんは、全身性エリテマトーデスを発症後、目が見えにくくなり、命に関わる可能性を告げられました。その後、大腿骨頭壊死の診断を受け、闘病生活を長年経験されてきています。闘病生活を続ける中で“最悪の時期”は過ぎ、現在は起業してオンラインで手話教室を開催されています。「難病になっても、障がい者になっても、少しの勇気と諦めない気持ちがあれば、幸せな未来がある」と言われていました。どんな病気になっても諦めない気持ちが、病気の改善に作用するのかもしれませんね。