【闘病】「娘を残して死ねない」子宮頸がんを乗り越えたシングルマザー
子宮頸がんの患者さんが、増加傾向にあります。そんな中、令和3年11月に厚生労働省で、中止していたHPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチン接種の「積極的勧奨」の再開が決まりました。気づいた時には症状が進行していることも少なくない子宮頸がん。そこで婦人科の検診でがんが判明し、同時化学放射線療法で子宮頸がんを克服したという篠田千奈美さんに、闘病中の話を聞きました。
体験者プロフィール:
篠田 千奈美
岡山在住、1984年生まれ。19歳で結婚・出産。20歳で離婚しシングルマザーに。現在は同い年のパートナー、娘(17歳)、千奈美さんの母と4人暮し。診断時の仕事は、フリーランスで似顔絵を書き、ネットショップを始めたばかりだった。2019年夏頃、体調不良が続き婦人科へ。その時に受けた子宮頸がん検診にひっかかり大学病院にかかることに。MRI、CT、PET検査を受け同年11月子宮頸がんIb2期と判明。同月、同時化学放射線療法を受けるため2ヶ月近く入院。退院後のCTにて腫瘍残存を確認。追加治療として2020年3月よりTC療法開始。週1回×18回の治療を完遂し、8月に経過観察へ。今は3ヶ月に1度の定期検診と、半年に1度のCT検査のみで経過観察中。治療中お休みしていた似顔絵ショップも再開し、愛する娘へのお弁当日記を毎日つけ元気に過ごしています。
記事監修医師:
今村 英利(いずみホームケアクリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
検査を受けて子宮頸がんが発覚
編集部
最初気づいた症状、病気が判明した経緯について教えてください。
篠田さん
まず、不正出血やおりものが出ることが増加し、下腹部の違和感、そして今まで無かった生理痛を自覚するようになったため、不安になってかかりつけの婦人科を受診しました。その時は、出血が多いことを理由に子宮頸がん検診はしてもらえず、とりあえず止血剤を処方してもらいました。その後も不正出血は止まらなかったのですが、それでもなかなか検査してもらえませんでした。
編集部
では、どのように判明したのですか?
篠田さん
不安で仕方なかったので、先生に無理を言って検査してもらいました。MRI、CT、PET検査を受け、後日「検診結果を直接お話させていただきたい」と病院から電話があり、受診したところ「残念ですが、悪いものが見つかった」と。大学病院を紹介され、初診で「がんで間違いないと思います」と告げられました。
編集部
病気が判明した時の心境を教えてください。
篠田さん
「がん=死」というイメージがありましたので、「私、死ぬのか……」と一人娘のことが心配で心配で仕方がありませんでした。ちょうど高校受験を控えた大事な時期でしたので、不安と絶望しかありませんでしたね。
編集部
医師から、どのように治療を進めると説明されましたか?
篠田さん
治療のスケジュール(レジメン)がすでに決まっていました。放射線治療(外部照射)を月~金曜の週5回、6週間かけ、合計30回、そしてラルス(腔内照射)を4回行いました。それにあわせて、週1回抗がん剤のシスプラチンを投与しました(計6回)。
編集部
初回の治療ではどのような薬を使いましたか?
篠田さん
初回治療では、抗がん剤としてシスプラチンを使い、その副作用に対して吐き気止めの薬を使いました。がんや治療による痛みには、ロキソプロフェン、カロナール、トラマールなどの鎮痛剤を使いました。そのほかに整腸剤も使いました。追加治療時には、抗がん剤としてパクリタキセルとカルボプラチンを使い、その副反応に対する薬など、もっと増えましたね。
編集部
治療中はどういう症状に苦しみましたか?
篠田さん
まずは疼痛による不眠です。痛み止めで徐々にコントロールできましたが、痛み止めなしでは生活ができませんでした。ほかにはシスプラチンによる吐き気、便秘、倦怠感や放射線治療の副反応である味覚障害、食欲不振、嗅覚異常、下痢がありました。同時化学放射線療法なので、同時にいくつもの症状が重なりましたね。入院治療中はとにかく食事がとれず、6kgほど痩せました。追加治療のときは、味覚障害、便秘、浮腫、体の痛みや強張り、手足の痺れ、ホットフラッシュなどに悩まされました。
治療中の心の支え
編集部
治療によって、仕事に影響はありましたか?
篠田さん
始めたばかりの似顔絵ショップでしたが、少しずつオーダーも入るようになっていました。ある印刷会社との企業案件が決まる段階でしたが、入院することをお伝えしたところ、白紙になってしまいました。これがとても悔しかったです。そして治療が始まると、体調も気持ちもどん底で、とても絵が描ける状態ではありませんでした。
編集部
治療中の心の支えとなったものは、何でしたか?
篠田さん
一人娘です。それしかありませんでした。娘を残して死ぬわけにはいかない。まだまだこんなところで終われないと思い、治療を続けることができたと思います。
編集部
もし昔の自分に声をかけるとしたら、どんな助言をしますか?
篠田さん
がんになる前は、気を使いすぎたり、我慢したり、自分のことは後回しでした。少しだけでも自分のことも大切にしてあげるべきだったと思います。自分の気持ちを無視せず、心の声を聞いていれば、今の状況は違ったかもと思います。
編集部
現在の体調はどうですか?
篠田さん
100%元通りとまではいきませんが、今は随分と元気に過ごしています。放射線治療による卵巣機能の停止、それによる更年期障害のホットフラッシュや目眩、動悸やイライラなどがあります。ほかに、ホルモン補充療法を週2回。あとは体のこわばりや、手足の痺れも少し残っています。
編集部
お通じも脱毛も回復されたそうですね。
篠田さん
しばらく大変だった便のコントロールは、最近始めたオートミールのおかげか、食生活の見直しのおかげか、改善されたように感じます。ツルツルになった頭も、すっかりフサフサになりました。眉毛もまつ毛も復活し、ちゃんとメイクができるようになりました。
がん宣告から今までを振り返って思うこと
編集部
子宮頸がんを知らない方へ、一言お願いします。
篠田さん
私が子宮頸がんだとわかったとき、取り憑かれたようにネットで情報検索をしました。そこにはネガティブな情報が沢山ありました。性にだらしない奴がなる、男性経験が多いから、性交回数が多いから、などとてもショックでした。理由は決して、性交回数の多さだけではないことも知ってほしいです。
編集部
子宮頸がんの情報もネット上には多くありますよね。
篠田さん
悪質、低俗な情報が氾濫しているため、子宮頸がんになったことを家族やパートナーに言えないという方に出会いました。ネットにあるような情報だけが真実ということではないのに。誰にだって同じように子宮頸がんになるリスクがあることを、多くの人に知って欲しいですね。
編集部
医療関係者に望むこと、伝えたいことはありますか?
篠田さん
入院治療中、通院治療中、とても良くしていただき、大変お世話になったと思っています。感謝の気持ちでいっぱいです。
編集部
がんの宣告から今までを振り返ってみて、何を思いますか?
篠田さん
がんの宣告を受けたあの日、生まれて初めて死を意識し、ただただ生きたいと強く願いました。毎日不安の中にいました。押しつぶされてしまいそうでした。あの日から2年が経ち、治療を終えて経過観察に入ってからも、1年が過ぎました。常に再発や転移に怯えていますが、元気に過ごせています。病気なんてしたくなかったけど、病気をしたからこそ気づくことは沢山あったように思います。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
篠田さん
子宮頸がんに限らず、どんな病気であっても検診での早期発見が何よりも大事だと思います。自分以外の誰かを大切に思うように、自分のことも大切にしてあげてほしいです。それが大切な誰かを悲しませないことに繋がるのではないかと思います。HPVワクチンで予防することなどもできますので、どうか皆さん、ご自身を大切にしてください。
編集部まとめ
今回は女性特有のがんの1つである子宮頸がんを経験された篠田さんにお話を伺いました。患者さんが多い反面、悪質な情報がネット上に流れていることもあり、がんであること以上に私生活についても言われのない罪悪を押し付けられ、つらい思いをされることが多いとわかりました。正しい情報をもとに、早期発見・早期治療でがんからの克服をめざすことが重要だと思いました。