~実録・闘病体験記~ 潰瘍性大腸炎になる前にできた恋人が、今の夫で心の支え
大学を卒業し、社会人になり、自分でも気付かないうちに頑張り過ぎてストレスになってしまっていた……。思い当たる節がある人も多いかと思います。今回は、社会人になった年に原因不明の難病「潰瘍性大腸炎」を発症したMeikoさん(仮称)に、話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年10月取材。
体験者プロフィール:
Meikoさん(仮称)
記事監修医師:
井林 雄太(田川市立病院)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
「疲れないように」ってどうすればいいんだろう?
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
Meikoさん
大学を卒業して社会人になり、生活環境が大きく変わった頃から、少しお通じが「ゆるいかな?」と感じるようになりました。元々便秘症だったので「快調快調」などと喜んでいたのですが、そのうち白い粘液が混ざるようになり「なんだろう?」と不思議に思ったのが、最初に感じた異変でした。
編集部
そこからどのようにして潰瘍性大腸炎と診断されましたか?
Meikoさん
そこからなぜか体重がどんどん減っていったのです。いま思うと腸が正常に機能しなくなっていたのだと思います。その後お通じに鮮血が混ざるようになり、近くの内科を受診したところ、すぐ内視鏡検査をすることになりました。お医者様から「大変な病気かもしれないから、すぐ大きな病院に行きなさい」と大学病院を紹介され、そこで再度の内視鏡検査した後『潰瘍性大腸炎』と診断を受けました。
編集部
医師からはどんな説明がありましたか?
Meikoさん
「完治しない病気だからずっと薬は飲み続けないといけないけれど、様子を見ながら、今より悪化させないようにしていきましょう」と言われました。また、「この病気は疲れやストレスが大きく関わるから、なるべく気をつけて」とも言われたのですが、社会人に成り立てでまだ仕事の要領も掴めておらず、毎日クタクタだったので、「疲れないようにってどうすれば良いんだろう?」と途方に暮れました。
編集部
どのような治療だったのですか?
Meikoさん
潰瘍性大腸炎は再燃と寛解を繰り返す病気で、「炎症を抑え込む再燃期」と、「炎症が治まっている状態を維持する寛解期」とで治療目標が異なります。発症時(2001年)から14年目(2015年)まではサラゾピリン坐剤、次にペンタサ坐剤と種類を変えながら使用していました。この頃は、再燃期も寛解期も同じお薬です。14年目の再燃で使っていた薬の効果がなくなったのでステロイドを内服、寛解後にはステロイド系のリンデロン坐剤になりました。
編集部
薬が変わっていったのですね。
Meikoさん
17年目(2018年)はそれまでの薬も効かなくなり、症状が急激に悪化しました。入院して、ステロイド点滴と免疫抑制剤のプログラフという薬を使用して寛解導入療法をおこないました。この2つは主に再燃期の薬で寛解を維持する効果がないため、退院後はイムランという免疫調整剤と、新たにリアルダという薬を毎日内服していました。
編集部
現在はどうしているのですか?
Meikoさん
20年目(2021年)で再度再燃し、ステロイドと、新たに免疫抑制剤のゼルヤンツを使用し始めました。私は2〜3年のスパンで再燃する傾向にあるようで、その度に薬を強いものに変えていった感じですね。寛解してステロイドは終わり、現在はゼルヤンツとリアルダ錠も引き続きを毎日内服しています。
編集部
そんなにも薬が効かなくなることもあるんですね。
Meikoさん
薬は一日も飲み忘れることなく、飲み間違えることもなく気をつけていたのですが、効き目がなくなりました。効果が出ていたはずの薬が突然効かなくなってしまうのも、この病気の特徴だそうです。
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
Meikoさん
軽症だったので下血しただけで、痛みもなく、まったく実感が湧きませんでした。特にショックも感じず、「治らない病気か……。まぁお薬飲んでいたら大丈夫みたいだし、なってしまったものは仕方ない」と、あっけらかんとしていたのを覚えています。私よりも両親の方が大きなショックを受けていて、特に父は食事も摂れないほどに落ち込んでいました。それがとても申し訳なくて胸が痛かったです。
本気で死を意識。自分を大切にしようと決める。
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
Meikoさん
最初はもらった薬ですぐに寛解したので、仕事や日常生活に特に影響はありませんでした。アルコールと辛い物を控えるようになったぐらいです。ですが、2018年に悪化してとても辛い時期と入院治療を経た後は、専業主婦になり生活面、食事面、メンタル面すべてを見直しました。
編集部
具体的にはどのようなところでしょう?
Meikoさん
生活面ではとにかく無理をしないこと、睡眠時間をしっかり確保することを意識しています。食事面では低脂質、低刺激、高タンパクを心掛け、身体に良いものをバランス良く食べるようにしています。アルコールと辛い物はまったく摂らなくなりました。
編集部
精神的なところでの変化は?
Meikoさん
意識的に自分を大切にするようになりました。それまでは周りと合わせようと頑張り過ぎて、自分のことは疎かにしていたという自覚があったので、ポジティブなこともネガティブなことも、自分の意思はきちんと伝えようと決めました。まだまだ100%とはいきませんが、意識を変えられた分、少しだけ楽になったかな、と思っています。
編集部
2018年がターニングポイントだったのですね。
Meikoさん
当時は夫と共にシンガポール駐在中で、2〜3ヶ月に一度帰国して日本の病院に通院していました。向こうで再燃の兆しがあったのですが、帰国の予定はもう少し先だし、薬ももらってるから大丈夫だろうとタカを括っていたら、みるみるうちに悪化しました。薬が全く効かなくなり、1日に10回ほどの下血と腹痛で食事も摂れず、限界を感じて帰国した時にはかなり重症化していて入院することになってしまいました。
編集部
短い期間で悪化したのですね。
Meikoさん
その間約1ヶ月です。軽症の頃は直腸とS字結腸あたりに炎症があったのですが、この時の内視鏡検査では炎症と潰瘍が全腸にわたって拡がっており、主治医にも「こんな急激に悪化するとは」と驚かれたほどです。
編集部
その時期の症状は?
Meikoさん
絶食しながらの入院治療が始まってからも、数時間おきに襲ってくる痛みがとにかくひどくて夜中も眠れず、何度もナースコールを押して痛み止めの筋肉注射を打ってもらう日々でした。1日に20回以上、激痛を伴う下血がありました。何も食べていないので、ほぼ血液と粘液です。この時は本気で死を意識しました。ステロイドを大量に投与していたので、副作用の不眠や脱毛、顔のむくみなども出ていました。体重は再燃〜入院の3ヶ月間で41kgから34kgに落ちてしまい、夫いわく「痩せ細って、パッと見たら私とは分からない」くらいに印象が変わっていたそうです。
編集部
治療中の心の支えはなんでしたか?
Meikoさん
夫、家族、愛犬、病気のことを打ち明けている数少ない友人たち、そしてSNSで知り合った同病の方やそのご家族たちです。
編集部
旦那さんとは病気が発覚してからご結婚されたそうですね。
Meikoさん
はい。病気が判明した時期はまだ結婚していなかったのですが、一生付き合う病気だということ、将来的にがんになる可能性もあることを伝え、妊娠、出産がどうなるかわからなかったので、私からお付き合いと結婚をやめたいということも申し出ました。でも彼(夫)は一貫して「病気は自分にとって何の問題にもならない」と言ってくれました。たくさんの話し合いをして、数年後、結婚に至りました。あの時すべてを受け入れてくれた夫には、どれだけ感謝してもしきれないです。
編集部
もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?
Meikoさん
「軽症だからと甘く考えずに、しっかり自分の病気と身体に向き合ってください。いつか痛い目に遭いますよ」と言います。2018年、明らかに体調がおかしくなっていたのに「私は軽症だから、そんなに気にしなくても平気。これ以上はひどくならないはず」と、勝手に思い込んでいました。帰国し、入院して痛みと闘っていた時、すぐに帰国して病院に行けば良かったとか、自分が無理をしてストレスを感じるような人付き合いもしなければ良かったなど、たくさん反省をしました。
母の料理。医療従事者の優しさ。治療薬への希望。
編集部
現在の体調や生活などの様子について教えてください。
Meikoさん
今年(2021年)に入り、また再燃して半年間ほど体調を崩していましたが、10月には寛解して特に不調はありません。コロナ禍で夫はずっと在宅ワークなので、夫が仕事をしやすい環境を整えながら、合間に趣味や勉強をして過ごしています。実家にはコロナでなかなか帰れませんが、愛犬である実家の英国ゴールデンレトリバーは私の癒しの存在なので、会いたいです。
編集部
あなたの病気を意識していない人に一言お願いします。
Meikoさん
潰瘍性大腸炎は自己免疫疾患ですが、トイレと密な関係にあり非常にデリケートな部分があります。重症度も見た目にはわかりません。もし周囲にこの病気の人がいるなら、トイレの回数などで偏見を持たないでください。潰瘍や炎症の痛みは普段の腹痛とはまったく別物なのです。あと、お腹だからといって安易に「食べ物が悪かったんじゃないの?」とか言わないでください。原因不明だから難病なのです。私の母は毎日ヘルシーで美味しい食事をしっかり作って育ててくれました。その母を侮辱されたようでとても傷つきます。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
Meikoさん
医療従事者の方たちへこれ以上望むことは、私には全くありません。今まで関わってくださったお医者様や看護師さんたちは、苦しさや辛さに寄り添ってくださる方たちばかりでした。痛みがひどい時に見知らぬ看護師さんが手を握っていてくれたり、ずっと背中をさすっていてくれたりして、その優しさに泣いたことが何度もありました。思い出すといつも感謝の気持ちでいっぱいになります。あとは、これは研究者の方たちへの希望になりますが、一日も早く治療薬ができれば良いなぁとは思っています。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
Meikoさん
インターネットのおかげで、SNSなど、発信できる場所も増え、今まで孤独の中で闘病していたのが「自分だけではないんだ」と、力をもらうことが増えました。辛くて心が折れそうなとき、誰かに「自分もそうだったよ」と言ってもらえると本当に支えになります。本記事などを通して、様々な難病があることを知ってもらい、一人でも多くの難病の方が前向きに治療に取り組めるようになっていくと嬉しいです。
編集部まとめ
原因不明の難病と向き合いながらも、家族や同じ病気の方に対する気づかいや医療従事者への感謝の言葉が多く聞かれました。そして、病気をきっかけに「自分を大切にすること」を意識するようになったという発言が印象的でした。ご自身に対する「自分の病気と身体と向き合ってください」というメッセージや「すぐに病院に行けば良かった」という反省は、頑張り過ぎてしまう全ての人たちに当てはまると思います。Meikoさん、ありがとうございました。