~新型コロナ闘病体験記~ 感染者激増・第4波の大阪では何が起きていたのか
大阪府に「緊急事態宣言」が発出されたのは、今年の4月下旬のことでした。マスコミを通じて「医療ひっ迫」という言葉が叫ばれる中、その実態はどうだったのでしょう。今回、お話を伺ったのは、まさに渦中で新型コロナウイルスとの闘病を強いられたという本間さん(仮称)。紙面や画面からは伝わらない、リアルストーリーが展開します。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年7月取材。
体験者プロフィール:
本間さん(仮称)
大阪府在住、1971年生まれ。結婚し2児の母で家族と4人暮らし。診断時の職業は介護職で週に3回ほど介護施設に通所。PCR検査で新型コロナウイルスへの感染が疑われたのは21年の4月中旬。その後、娘の検査でも陽性反応が出たため、自宅待機を経て親子ともにホテル療養へ移行。現在、諸症状は回復し、それぞれ通勤・通学の日々へ戻れている。
記事監修医師:
井林 雄太(田川市立病院)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
勤め先の施設がクラスター化した可能性
編集部
さっそくですが、新型コロナウイルスに感染した経緯は?
本間さん
私が働いていた介護施設では、簡便な「唾液による抗原検査」を、定期的に入所者と職員全員に対して行っていました。そうしたなか、施設内の人間で初めて陽性反応(感染疑い)が出たのが、4月12日のことです。ほぼ同時に、施設からほかの病院へ通っていた入所者の1人も、通院先でのPCR検査で陽性反応が確認されました。感染症対策は念入りに行っていたので、「まさか」というのが第一印象です。
編集部
ご自身はそのとき、抗原検査に引っかからなかったのですね?
本間さん
結果としては陰性反応(異常なし)だったので勤務を続けましたし、娘の予定に合わせて車で送迎もしていました。ところが翌日、感染者が出たことを知った保健所からPCR検査のセットが届けられ、職場全員で検査することになったのです。自分に陽性反応が出たことを知ったのは、さらに翌日の深夜で、雇用先からの電話によってでした。聞くところによると、私も含め、多くの職員が感染していたようです。
編集部
それまで、自覚症状などはあったのでしょうか?
本間さん
喉の違和感やせきが数日前からあったものの、「自分が風邪を引いたときのパターン」と似ていたので、市販のうがい薬を多用しはじめました。そのおかげか、問題の12日には、声がれ程度に治まっていたんです。加えて抗原検査でセーフでしたから、継続出勤や娘の送迎も気にならなかったのでしょう。ちなみに後で知ることですが、このタイミングと前後して、娘にも感染させてしまいました。
編集部
ご自身と娘さんの感染が判明してからの経緯は?
本間さん
一部の療養先のホテルでは、家族と離されて「1人部屋」に入れられてしまうので、中学生の娘と同室で過ごせるホテルを依頼しました。その結果、保健所から「療養先のホテルが見つかった」と連絡が来たのは翌週のことです。それまで、約1週間は、娘と自宅で隔離生活を余儀なくさせられました。その間、状況をこちらから保健所に聞いてみようとしても、まず、つながりませんし、つながったとしても「こちらから順番に連絡するので、電話してこないでください」と切られてしまいました。
医療ひっ迫で余裕がなくなった行政の対応
編集部
当時の保健所のひっ迫状態が伺い知れるエピソードです。
本間さん
感染症の諸症状で苦しんだのは、主に自宅療養中です。とくに週末から感じた頭痛が、今まで経験したことのないようなレベルのものでした。その次は発熱で、やがて体のだるさに続いていきました。やっと、どうにか過ごせるようになったところで、「療養先のホテルが見つかった」という経緯です。後日、感染したほかの職員さんに聞いたところ、ホテルでも息苦しさを抱えたまま、ただ耐えているしかなかったそうです。
編集部
最も必要なときに、ヘルプの声が届かなかったということでしょうか?
本間さん
本来なら、「諸症状が軽減して3日たったらホテルを出られる」流れでした。ところが私たちの場合、「症状が軽減してからホテル療養をはじめた」ようなところがありますよね。形式的に3日ほど過ごしてから放免となりました。なお、大阪の自宅から和歌山県など他県の保健所に症状を訴えようとしたことがあったのですが、「管轄外」ということで、受け付けてくれませんでした。
編集部
今回、「医師の姿」がどこにも登場しませんね?
本間さん
あの時期は保健所でさえこのような状態でしたから、重症化しなかった私がその先の医師に診てもらえるとは思えなかったです。「医療のひっ迫」とはこのようなことを言うのかと、身につまされてわかりました。私自身怖かったのは、症状が転々と変わっていくことでしたね。「この次はなにが襲いかかってくるのか、急変することはないのか」という不安を、本当は保健所や医療機関に問い合わせたかったのです。しかし、問い合わせそのものを断られていました。
編集部
一切の加療を受けられなかったのでしょうか?
本間さん
保健所の指示では、推奨するいくつかのお薬があって、それをオンライン診療で取り寄せるというものでした。ただしその内容は、治療薬というより、解熱剤やせき止めなどの一般的なお薬でした。また、別途、保健所から「血中酸素濃度を計る簡易測定器」が送られてきて、専用アプリに日々の数値を記入していました。このように、決められた工程だけが淡々と受け身の一方通行で進んでいきます。工程を妨げるような問い合わせは、ノイズになっていたのかもしれません。
編集部
一方の娘さんは、どうされていましたか?
本間さん
保健所の対応を待っていられないので、私から学校へ「娘が感染した旨」の連絡を入れました。それ以上の感染者を1人でも減らしたいという思いでした。当の娘は、鼻水に続いて、2週間ほど味覚を失っていました。あんなに好きだったカレーが地獄だったみたいで、「ドロドロした気持ち悪いもの」に感じたそうです。総じて、食事そのものが辛そうでしたね。体重も減ったと思います。
バブル方式への疑念
編集部
ところで、問題の職場の感染対策はどうだったのでしょうか?
本間さん
もともと「通所タイプ」ではなく「入所タイプ」であったので、感染症の流行もあって、施設が入所者に“外出の完全禁止”を徹底させていました。また、ご家族の面会も禁止になりました。出入りできるのは、「感染症に一通りの知識がある」スタッフのみです。ただし、入所者が施設内で病気になった場合のみ外出、通院していました。それでも感染を防げなかったということは、入所者が通院先の病院でうつされてしまったのでしょうか。だとすると、スタッフがいくら注意していても限界はあったと思います。
編集部
うつされたのも知らないうちだし、知らない間にうつしてしまった?
本間さん
あれだけ施設の防疫体制を整えていたのに、ウイルスは入りこんで来るんです。防ぐための密閉空間だったはずですが、まん延させる方向へ働いてしまったことが残念ですね。それに加えて、同じウイルスであるはずなのに、人によって症状がかなり違います。「いつ、なにが起こるかわからない怖さ」が尋常ではないです。
編集部
この機に、医療従事者へ望むことはありますか?
本間さん
大阪単体がひっ迫したとき、近隣の他県ともっと連携できないのかと感じました。とにかく、知りたいことが多いのに、情報を遮断されてしまい不安でした。ルールなのだと思いますけど、人命がかかっているのに「薄情やな」と感じる対応を目の当たりにさせられました。
編集部
散見される「コロナ疲れ」についても一言。
本間さん
東京五輪で、選手を外部から隔絶する「バブル方式」(開催地を大きな泡[バブル]で包むように囲い、選手やコーチ・関係者を隔離。外部の人達と接触を遮断する開催方法)が採用されるそうですが、つまりこれって私の職場と似たような仕組みですよね(東京五輪開催前に取材)。だとしたら、感染者が出た場合、ウイルスを増殖させる温床になるのではないかと気がかりです。会場も無観客のほうが好ましいと思います。
編集部
最後に、読者へのメッセージをお願いします。
本間さん
なにより娘がかわいそうです。学校や周囲から白い目で見られることはないものの、「あまり遊びに行かない習慣」が身についてしまいました。行政や政治が後手に回ると、子どもの環境や性格すら変えかねないと思います。ですから、どうして先手を打たないのか、母として歯がゆく思います。また、一般の方の今の行動が、「次世代の日本の姿」をつくるのでしょう。今後、かわいそうな子どもが増えないことを願います。
編集部まとめ
この春の大阪は、ひっ迫というよりもパニックだったのかもしれません。また、五輪でも採用された「バブル方式」も、運用を間違えると大変なことになる可能性があると感じさせられました。そして、我々大人たちの行動が次世代の子どもたちの積極性や性格を変え兼ねないという点も、見えていない観点ではなかったでしょうか。