~実録・闘病体験記~ 舞台女優を襲った難病と、もう1つの“難しい病気”
原因や治療法が明確になっていないために完治が難しく、長期療養を余儀なくされることが多い「難病」。一方で、同様に原因と治療法が明らかになっていないにも関わらず、難病に指定されていない病気もあります。2019年5月、指定難病「特発性大腿骨頭壊死症」(とくはつせいだいたいこっとうえししょう)と、後者にあたる「線維筋痛症」(せんいきんつうしょう)という2つの病気をほぼ同時に患った舞台俳優の服部杏奈さんの体験を通して、“難しい病気”の実態と罹患者の苦悩を紹介します。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年5月取材。
体験者プロフィール:
服部 杏奈さん
1994年生まれ。現在は一人暮らし。診断時の職業は舞台俳優。23歳で難病指定されている特発性大腿骨頭壊死症を発症し、そのための検査・治療を進めていく中で、線維筋痛症を抱えていることが発覚。現在も2つの病気の治療とリハビリ継続しながら、音楽や今まで俳優時代にやりたくても時間がなくてできなかった趣味(語学勉強や絵など)を始めるなど、前向きに人生をリスタートしている。
記事監修医師:
馬渕 青陽
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
俳優活動の陰に潜んでいた難病「特発性大腿骨頭壊死症」
編集部
「特発性大腿骨頭壊死症」とは、どのような病気なのでしょうか?
服部さん
大腿骨に何かしらのきっかけで栄養がいかなくなり、大腿骨頭から骨がどんどん壊死してしまう指定難病です。飲酒やステロイドの投与が関連することもあるらしいですが、私はどちらにも該当しません。「原因不明」と診断されました。
編集部
もう1つの「線維筋痛症」とは、どのような病気なのでしょうか?
服部さん
こちらも原因がよくわかっていないと言われており、全身のあらゆる場所に激しい痛みを伴う病気です。実際に体には何も起きていないのに、脳の痛みを司る部分が機能的におかしくなって発症するという説や、メンタルが原因で起きるという説など、私が診てもらった先生によっても見解が違うようでした。
編集部
こちらの2つの病に何か関連性はあるのでしょうか?
服部さん
あくまでも私の体感ですが、関連性は低い気がします。本来、特発性大腿骨壊死症は大腿骨頭に原因があるので、股関節あたりに痛みの中心があるはずなのですが、私の場合、ほぼ同じタイミングで線維筋痛症になったので、明確にどこが痛いのかがわかりませんでした。そのときは、腰より下のいたるところに痛みを感じていました。線維筋痛症は世界的にもまだ解明しきれていない病気なので、関連の有無はハッキリと言い切れないと思います。
編集部
どういう状況で特発性大腿骨頭壊死症は発症したのですか?
服部さん
2019年5月上旬のちょうど平成から令和に切り替わる時期でしたが、そのころにロングランの舞台に出演していました。最初は腰から下全体が、なんとなく痛いと感じる程度だったと思います。その舞台ではヒールを履いて激しくダンスをするような演技もあったので、きっと疲れからきているのだろうと考えていました。接骨院にも行ってみましたが、日に日に悪くなる一方で、千秋楽に近づいたころには舞台に立っているとき以外、痛みでまともに歩けなくなっていました。それでもなんとか最後まで演じ切ることができたんですけど、そこで緊張の糸が切れてしまい、翌朝には痛みが激痛に変わっていました。結局、救急車を呼んで緊急入院となりました。
編集部
入院してどのような検査や治療を受けたのですか?
服部さん
腰、膝、足裏などいたるところのレントゲンやMRIを撮りました。むしろ大腿骨まわりの痛みは訴えてなかったので、撮っていないかもしれません。ひとまず1週間後には別の舞台が控えており、痛み止めを打ってもらって、それ以上悪化しないよう、安静に過ごしました。結局、痛みの原因も病気も、この入院で明らかになりませんでした。検査結果に異常は見られなかったので、そこで初めてお医者さんから「線維筋痛症」の可能性を示唆されたのを覚えています。
編集部
特発性大腿骨頭壊死症は、どのように判明したのですか?
服部さん
そのあといくつかの病院で検査を受けまして、最終的に「股関節外来」の整形外科に行ったところ、特発性大腿骨頭壊死症と診断されました。両大腿骨ともに重度の圧潰(あっかい)だったようです。
もう1つの難しい病気「線維筋痛症」と闘病生活
編集部
線維筋痛症はどのように明らかになったのですか?
服部さん
特発性大腿骨頭壊死症のリハビリ中に、突然左足の裏に太い針が刺さったような激痛が走りました。それからというもの、1日ごと、酷いときには数時間ごとに異なる場所が痛むようになりました。文献などを調べると、入院したときの先生から告げられた線維筋痛症が一番近そうだったので、この病気を専門的に扱っている病院を調べ、数軒で診てもらい、線維筋痛症の診断を受けました。
編集部
線維筋痛症はストレスが原因と言われることもありますが、心当たりは?
服部さん
ゼロとは言えないと思いますが、当時ストレスで悩んでいた認識はありません。今振り返ってみると、特発性大腿骨頭壊死症になったことで今後舞台に戻れないかもしれないという恐怖や悲しさはあったので、それが引き金になった可能性はあるかもしれませんが……。
編集部
2つの病気が明らかになったときの心境はいかがでしたか?
服部さん
もちろん辛いのですが、10代の頃に「拒食症」や「パニック障害」と闘った経験があったので(現在は寛解)、「あぁ、私は病と闘っていく人生なんだなぁ」と、比較的冷静に闘病の覚悟を決めたのを覚えています。
編集部
特発性大腿骨頭壊死症はどのような治療を行っていますか。
服部さん
最初は杖を使って歩行してみたり、少しきつめのリハビリをしたりもしましたが、痛みと体力的にそれを継続するのは厳しかったです。結局、保存療法で治療していくことになりました。とにかく安静にして、出来るだけ動かず、寝たきりの日々を過ごしました。また、大腿骨を守ることを目的に、股関節専門リハビリに通って、股関節周辺の筋力を付けたりもしていました。
編集部
線維筋痛症は、どのような治療をしているのでしょうか?
服部さん
線維筋痛症を専門的に扱っている病院に何軒も足を運びました。完全にメンタル面からアプローチするタイプの先生もいれば「薬で全部コントロールできる」という先生まで様々でした。現在は痛みの抑制に関係する神経伝達物質であるセロトニン、ノルアドレナリンの量を調整する作用があるとされる「サインバルタ」(抗うつ薬)を服薬し、痛みをコントロールしています。あと、理学療法士さんからの施術を受けています。自分でも自宅でできるケアなどを調べては、実践する日々です。今は「痛む身体とどう向き合うか」というより、「痛みを感じた時に、自分の心とどう向き合うか」という方に考えをシフトしました。
SNSがある時代に闘病できることへの感謝
編集部
現在、それぞれの病気はどういう状況なのでしょうか。
服部さん
特発性大腿骨頭壊死症は国の指定難病でもあり、完治という概念がまずありません。ですが、大腿骨に負担をかけない生活が功を奏したのか、先日5月18日のMRIで少し壊死した部分の骨が再生していました。心から嬉しくて、涙が止まりませんでした。まだ走ったり跳んだりなど、できないことは数多くありますが、経過としては良い方向に向かっています。線維筋痛症は服薬しながら日々痛みと闘っています。一時は「完治したい」と強く思いましたが、逆にそれが精神的プレッシャーになってしまいました。近頃は「いつか完治したらラッキーだけど、線維筋痛症と手を繋いで生きているんだ」と、ポジティブに考えています。
編集部
2つの病気はともに認知度も低く、他人の理解を得られにくいのではないですか?
服部さん
それはありますね。線維筋痛症の場合、ひどい時は顔面の筋肉が痛くて動かせない日もありますが、その痛みは翌日には感じなくなっていることも珍しくないので、「昨日辛そうだったのに、今日は元気そう」と言われたりもします。
編集部
働くことも難しい状況で、金銭的な苦労はないのですか?
服部さん
市区町村によって違うかもしれませんが、指定難病の特発性大腿骨頭壊死症は、医療助成金の対象となっていてありがたかったです。ただ、線維筋痛症の場合は難病に指定されていないので、金銭的にも圧迫されます。現在はこれまでの経験を活かして収入が得られるような状況に恵まれましたが、当初は治療を続けていくために親に金銭的に援助してもらう必要もありました。また、俳優として磨いた技術で蓄えてきたお金が、すべて医療費に消えてしまったときはすごく切ない想いをしました。これだけ辛く原因も明らかになっていない病気なのに、難病に指定されていないことが正直言って理解できません。
編集部
闘病生活の中で、一番辛かったことはなんですか?
服部さん
子役から17年近く役者として仕事をしてきたので、今後舞台に立つようなことはできないと主治医の先生から言われたときは、ものすごくショックでした。今でもまだ舞台やドラマを見ることがすごく辛く、最後まで鑑賞できません。途中で止めてしまいますね。自分の存在価値は、完全にそこにあるものだと思って生きてきたので、それができないと言われたとき、死んでしまいたいと考えたこともありました。
編集部
その苦労をどうやって乗り越えることができたのですか?
服部さん
これまで俳優として活動する中で告知などに利用してきたSNSに、今患っている病名と今の状況を書いて、心の内も包み隠さずに打ち明けました。すると、もともと俳優としての自分を知ってくれていた人だけでなく、同じような闘病生活を送っている私の存在を知らなかった人たちとつながることができて、励まし合えるようになりました。「舞台をやっていなくても、車いすでも車いすでなくても、あなたはあなたに変わりない。あなたの笑顔が好きだから応援してるよ。泣きたいときは泣いていいし、等身大の自分をぶつけてくれていいからね」という言葉が忘れられません。SNSでいろんな人の想いが「見える化」されていることが助けになりました。私はこの時代に闘病生活を送れて良かったと思っています。
編集部
難病と闘う上で大事だと思っていることを教えてください。
服部さん
自分の病気との向き合い方を受け入れてくれて、足並みを揃えて共に闘ってくれる先生を見つけることが一番だと思います。「この人だ」というお医者さんを見つけるのには相当な時間と体力を使いますが、見つかれば本当に心強い味方を得ることができます。
編集部
最後に読者へメッセージがあればお願いします。
服部さん
正直、私はこの闘病人生の意味を見つけきれておりません。ただ日々を必死に生きていたら、支えてくれる人たちへの感謝、お箸を持ってご飯が食べられる日がある幸せ、何者でもない自分でも愛してくれる人がいることなど、今まであまり見えていなかったことが少しずつ見えてきました。健常者であれ闘病者であれ、みんなが何かと闘いながら生きていることに変わりはありませんし、私を特別視してもらいたい訳でも、記事を読んで何かを感じてほしい訳でもありません。ただこの病気のことを知識として広く知ってもらうことが大事だと思って、この取材を受けさせてもらいました。同じ瞬間に難病と闘いながら、金銭的、身体的、精神的に自分をすり減らしている人には、「めげても大丈夫、泣いても大丈夫です。会えなくても一緒に闘っていきましょう」と伝えたいです。
編集部まとめ
治療やリハビリは医療従事者の専門技術や知識を必要としますが、加えて本人の回復への意欲も大事になるはずで、服部杏奈さんのように信頼できる医師に診てもらうために病院を巡ったり、SNSで互いに支え合える仲間を探したりといった闘病のための環境づくりは、自分自身の努力でしか形作れないものだったと思います。幸いにも、こうした原因不明の病気を患うことなく済んでいる人たちは、こういう病気が存在ことを知るところから、少しでも寄り添っていきたいところです。