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【闘病】人生「もう終わりだ…」 首の“しこり”は『血液のがん』だった

 公開日:2025/12/31
地方移住直後に悪性リンパ腫発覚! 慣れない地での治療を乗り越えられたワケ

山形への移住直後、首の小さなしこりに気づいたあかねさん(仮称)。複数の検査を経て、血液のがん「古典的ホジキンリンパ腫」と診断されました。当初は絶望を感じたものの、移住先の病院に専門医がいたことや、豊かな自然環境、そして家族や町の人々の温かな支えに救われます。入院中には年齢や国籍を超えた仲間とヨガに励むなど、病気をきっかけに「当たり前の日常」への感謝を深めたあかねさんの、前向きな闘病の軌跡を紹介します。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年11月取材。

あかねさん

体験者プロフィール(仮称)
あかね

プロフィールをもっと見る

1988年生まれ。三児の母。2021年、東京から山形県へ移住。その後にすぐ「古典的ホジキンリンパ腫」と診断される。「ガン晴れる!」そんな気持ちで病気と向き合っている。

今村 英利

記事監修医師
今村 英利(いずみホームケアクリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

がん=もう終わりだ…と思った

頭を抱え絶望する様子の女性

編集部編集部

最初に不調や違和感を感じたのはいつですか? どういった状況だったのでしょうか?

あかねさんあかねさん

2021年4月に東京から山形に移住しました。その頃に、首にコロッとした小さなしこりに気づいたのが最初です。特に痛みもなく、体調の変化も感じていませんでした。

編集部編集部

診断に至るまでの経緯を教えてください。

あかねさんあかねさん

2021年4月に移住し、コロナ対策のための2週間の自宅待機を終えてから、病院を受診しました。そして翌月に外科で診てもらいました。リンパのところだし、しこりを取るにしても耳鼻科だろうとのことで、耳鼻科を紹介されました。しかし、CTやMRIを撮っても異常は見つからず、針生検を2度受けましたが確定診断がつかなかったので、しこりを摘出し病理検査へ回すことになりました。そこでようやく、古典的ホジキンリンパ腫と診断されました。最初の受診から3カ月くらい経っていました。

編集部編集部

古典的ホジキンリンパ腫は、どのような病気なのでしょうか?

あかねさんあかねさん

悪性リンパ腫の一種です。白血球の仲間であるリンパ球ががん化し、リンパ節で増えて、しこりになります。首筋のリンパ節のあたりに痛みのないしこりができるのが主な症状で、ほかにも発熱、体重減少、寝汗などの全身症状がみられることもあるようです。

編集部編集部

どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?

あかねさんあかねさん

主治医には、抗がん剤治療であるA+AVD療法を6クールと言われました。まず2クール行ってみて、中間チェックとしてPET-CT検査をし、がん細胞が無くなっていれば残りの4クールは2クールに減らすという予定でした。最初の1カ月は入院して治療し、抗がん剤の副作用などが落ち着いていれば、退院して外来通院に切り替えられるとのことでした。

編集部編集部

そのときの心境について教えてください。

あかねさんあかねさん

がんだと分かった時には「もう終わりだ」と思いましたが、今はがんも治る時代だと教えてもらい、治療して治るなら治療を頑張ろうと思いました。主治医がしっかりと説明してくれて、私がどうしたいのかも聞いてくれて、治療のことを一緒に考えてもらえたので、覚悟を決めて前向きになれました。なかなか病名が分からずもどかしかったので、診断がついてスッキリしました。

移住した山形に、私のがんの専門家がいた

移住した山形に、私のがんの専門家がいた

編集部編集部

実際の治療はどのように進められましたか?

あかねさんあかねさん

予定通り行われました。入院治療だったため、家族とは1カ月間離れていたのが寂しかったですが、ゆっくりと自分の体のことやこれからのことを考える時間が持てました。1カ月後、無事退院して外来通院での治療に切り替わり、2クール終わったところで中間PET-CT検査をしました。がん細胞が体からなくなっていたので、残りは2クールに変更になりました。

編集部編集部

慣れない地での治療に不安はありませんでしたか?

あかねさんあかねさん

山形に移住してきたばかりだったので、身内がそばにいない中での治療となりましたが、運命だったのか、移住先の病院に私のがん(古典的ホジキンリンパ腫)に強い先生がいたのには救われました。また、山に囲まれた自然豊かな環境で治療できたり、主人が家で仕事を出来ていたりしたので、家事も育児もやってもらえたのは恵まれていましたね。

編集部編集部

新しい地で得られたメリットもあったわけですね。

あかねさんあかねさん

ほかにも町の方々が主人と子どもたちの為に、おかずを届けてくださり、優しさにたくさん触れることができました。私は私で、1カ月の入院の間に海外の方や年齢が離れている方と友達になることができて、とても心強かったです。入院治療中も体力をつけるために一緒にヨガをしながら乗り越えました。退院後も、通院する時などに連絡を取り合っています。

編集部編集部

病気の前後で変化したことを教えてください。

あかねさんあかねさん

「全て最善である」「病気=不幸ではない」、この2つの言葉が私の治療に向かうマインドを整えてくれました。何が起こっても、それが今あるべき最善のことなんだと。移住してすぐに病気になったのは悔しかったけれど、山形に来たからこそいい先生に出会えて、ゆっくりと生活をしながら治療ができているのだと思えます。また、病気になってから当たり前のことに目を向けられる様になり、感謝できる様になりました。人の優しさにたくさん触れて、自分もそうありたいと思います。

編集部編集部

以前の自分を振り返ってみて、何かありますか?

あかねさんあかねさん

食生活の乱れと運動不足は気になっていました。それが全ての原因ではないと思いますが……。あとは、「初めから内科に行っていたら、もう少し早く治療ができていたのかな?」とは思います。でも、その間に山形の夏を楽しめたので、後悔はないです。

≪↓ 後編へ続く ↓≫

※この記事はメディカルドックにて《【闘病】地方移住直後に悪性リンパ腫発覚! 慣れない地での治療を乗り越えられたワケ》と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。

なお、メディカルドックでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。

 
(後編)【闘病】全てが最善!

この記事の監修医師