【闘病】妊娠中に告げられた「乳がん」はステージ3A 命の危機で直面した絶望と葛藤

次女を妊娠中、右胸にチクチクとした痛みを感じ、大きなしこりを見つけた髙橋絵麻さん。長女の授乳期に経験した乳腺炎と似ていたものの、まだ出産前だったため「おかしい」と思い、産婦人科を受診しました。医師からは「乳がんか乳腺炎か、区別がつかない」という衝撃的な言葉が告げられ、出産後も不安は拭えず、検査の結果、告げられたのは「右乳がんステージIIIA」という厳しい診断でした…。闘病の中で髙橋さんが選んだ行動とは?
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年1月取材。

体験者プロフィール:
髙橋 絵麻
1981年生まれ。福井県在住。ヨガスタジオオーナー。2015年、次女が授乳中の時期に右乳がんステージIIIAと診断される。2022年現在もホルモン療法継続中。
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がんと診断され、見える世界が一変

編集部
最初に不調や違和感を覚えたのはいつですか? どういった状況だったのでしょうか?
髙橋さん
最初は、次女がお腹にいる臨月の時でした。右胸がチクチクと痛み、熱を持っているように感じ、触れるとこんにゃくのような柔らかさの大きなしこりで、『乳腺炎に似ているな』と思いました。長女の授乳中に何度も経験した乳腺炎ですが、まだ産んでもいないのにおかしいと思い、通っていた産婦人科を受診しました。
編集部
そこで何か分かりましたか?
髙橋さん
産婦人科ではエコー検査をしてもらいましたが、予想もしていない答えが返ってきました。「乳がんか乳腺炎か、区別がつきません」と。その瞬間、目の前が真っ暗になったのですが、先生から「でも妊娠中の乳がんはあまり聞いたことがありませんから、大丈夫でしょう」と言われ、そのときはなんとか気持ちを落ち着かせることができました。ずっと健康に気をつけ、ヨガのインストラクターの仕事も8年目という時期でした。がん家系でもないし、まさかそんな事は無いだろうと思い、出産も間近だったので精密検査などはしませんでした。ただ、今振り返ると、単純に怖かったし、信じたくなかったのだと思います。
編集部
その後、検査は受けたのですか?
髙橋さん
次女を出産し、授乳しようとした時に、右胸から血の母乳が出ました。その瞬間また乳がんと言う言葉が頭をよぎったのですが、産婦人科の先生から「出たり出なかったりするなら様子を見ましょう」と言われていました。そんなことより「5年ぶりの育児」と、奮闘する毎日を過ごしていましたね。しかし、3ヶ月経っても血が混ざっていてさすがに不安になり、きちんと検査したいと産婦人科の先生にお願いして、乳腺外科のある病院に紹介状を書いていただきました。
編集部
そこから、診断に至るまでの検査などの経緯を教えてください。
髙橋さん
乳腺外科では、エコー検査や、マンモグラフィ、生検をしていただきましたが、授乳期のマンモグラフィは真っ白に映ってしまいよくわかりませんでした。結局、生検の結果が分かるのは、先生の予定もあり3週間後となりました。がんの可能性を何とか考えないようにして3週間を過ごしましたが、その次に病院を訪れたときに「お母さん、残念です」と言われました。主治医のこの一言で、自分が乳がんであることを悟り、見える世界が一変しました。
娘を抱っこしながら涙

編集部
気持ちを保つのが大変だったのではないですか?
髙橋さん
はい。ただ、ステージが低ければ寛解する病気だとは理解していたので、「ここから辛い治療を乗り越えていこう」という気持ちに切り替えました。ただ、その後のPETなどの全身検査の結果が出るまでの時期は、本当に怖かったです。どこまで転移が広がっているかわからず、「大丈夫!」と思える日もあれば、「若くして死んでしまうんだ、娘たちの成長も見れず、このまま人生が終わっていくんだ」と、娘を抱っこしていても涙を堪えられない日もありました。
編集部
どのように乳がんの治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
髙橋さん
私の場合は乳腺組織内には4×6cmのしこり、さらにリンパにも転移していて、脇にもしこりが出来ていました。転移の状態から右乳がんステージIIIAと診断され、術前の化学療法に加え、ホルモン療法も併用していくと説明がありました。化学療法後に乳房全摘手術になるので、再建手術が出来ないこと、治療が続くので今後の妊娠希望の有無も確認されました。
編集部
そのときの心境について教えてください。
髙橋さん
すでに色々と調べていたので、おおよその治療はイメージ出来ていましたが、これから先にどれくらい辛い治療が待ち受けているのか、子ども達を育てながら続けていけるのか、不安はかなりありました。最初は「おっぱいの1つや2つ、命が助かるなら無くたって構わない」と思っていましたが、髪が抜け始め、その上におっぱいもなくなってしまうのかと思ったら、女性としての自信が保てるか心配になりました。
編集部
再建できないというのは辛いですね。
髙橋さん
諦められず「本当に再建手術はできないか」と先生に、もう一度確認したこともあります。結局は出来ませんでしたが、そういった想いを言葉にして伝え、再度説明してもらって納得ができた事は、大きかったかなと思います。
編集部
実際の治療はどのように進みましたか?
髙橋さん
術前化学療法を8回、ホルモン療法と並行しながら行い、半年後に右乳房全摘手術を受けました。皮膚や胸筋にも転移の疑いがあったので、乳房だけでなく胸筋の10%を切除、皮膚の移植もしています。その後はさらに放射線治療を25回、飲み薬の抗がん剤を2年服用しました。ホルモン治療は10年継続と言われているので、現在も継続中です。
編集部
治療や闘病生活の中で、何か印象的なエピソードなどあれば教えてください。
髙橋さん
覚悟はしていましたが、抗がん剤の副作用で髪の毛が抜け始めました。毎日毎日、とにかくものすごい量でした。大量に抜け落ちた髪の毛を掃除しながら、「髪の毛が全部抜けるまでこれが続くのか」と思うとゾッとしました。そして、思い切って丸坊主にしたのです。主人に見せたら「意外と似合うね」と言ってくれて、惚れなおしたのも束の間、外出のたびにウィッグをかぶるのが徐々に辛くなってきました。
編集部
それは大変だと思います。
髙橋さん
あんなに人とおしゃべりするのが大好きだったのに、外に出るのすら嫌になりそうな自分がいました。そこで私は、もう全てを打ち明けてしまおうと決心して、ウィッグ付けず、頭を丸めたままの私をSNSやYouTubeで公開しました。そして、「産婦人科の先生でもわからなかった、妊娠授乳期の乳がんのしこりを、実際に触って、どんなものか知って欲しい」「たくさんの女性が自分でおっぱいに関心を持って、身体を守って欲しい」という想いから、「しこり触ってキャンペーン」という活動を始めました。
編集部
詳しく教えてください。
髙橋さん
手術までの約半年間、しこりを直接いろんな方に触っていただいたのです。最終的に、述べ250人もの方が参加してくれて、私の想いを受け取ってくれました。

記事監修医師:
寺田 満雄(名古屋市立大学乳腺外科病院)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
※この記事はメディカルドックにて『【乳がん闘病】育児追われ「疑い」をスルーした結果「ステージ3A」に』と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。