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弛緩出血
佐伯 信一朗

監修医師
佐伯 信一朗(医師)

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兵庫医科大学卒業。兵庫医科大学病院産婦人科、兵庫医科大学ささやま医療センター、千船病院などで研鑽を積む。兵庫医科大学病院産婦人科 外来医長などを経て2024年3月より英ウィメンズクリニックに勤務。医学博士。日本産科婦人科学会専門医、日本医師会健康スポーツ医、母体保護法指定医。

弛緩出血の概要

弛緩出血は、分娩後の重要な合併症の一つで、産後出血の主要な原因となっています。この状態は、分娩後に子宮が適切に収縮しないことによって引き起こされます。通常、分娩後の子宮収縮は、子宮内の血管を圧迫し、出血を抑制する役割を果たしますが、弛緩出血ではこのメカニズムが機能しないため、持続的な出血が生じます。
弛緩出血は、産後出血の約70-80%を占めると言われており、その発生率は全分娩の約5%程度とされています。しかし、適切な管理と迅速な対応が行われない場合、母体の生命を脅かす可能性があるため、産科医療において非常に重要な問題となっています。
弛緩出血は、分娩後24時間以内に発生することが多く、特に胎盤娩出直後から2時間以内に最も頻繁に見られます。しかし、稀に分娩後数日経ってから発生することもあります。
弛緩出血の重要性は、その潜在的な重症度にあります。適切に管理されない場合、急速に大量出血につながり、ショック、多臓器不全、さらには死亡といった深刻な結果を招く可能性があります。そのため、産科医療チームは弛緩出血のリスク因子を認識し、予防策を講じるとともに、発生時には迅速かつ適切な対応を取ることが求められます。

弛緩出血の原因

弛緩出血の原因は複雑で、しばしば複数の要因が関与しています。主な原因としては、子宮筋の疲労、子宮の過伸展、凝固障害、そして様々な薬剤の影響などが挙げられます。
子宮の筋肉の疲労は、長時間の分娩や頻回の子宮収縮によって引き起こされます。特に、誘発分娩促進分娩を行った場合、子宮の筋肉が疲労しやすくなります。疲労した子宮筋は、分娩後に適切に収縮する能力が低下し、結果として弛緩出血のリスクが高まります。
子宮の過伸展も重要な原因の一つです。多胎妊娠、巨大児、羊水過多症などの状態では、子宮が通常以上に伸展されます。過度に伸展された子宮筋は、分娩後に効果的に収縮することが困難となり、弛緩出血のリスクが増加します。
凝固障害も弛緩出血の原因となり得ます。妊娠高血圧症、胎盤早期剥離、羊水塞栓症などの合併症では、凝固因子の消費や血小板の減少が起こり、出血傾向が強まります。また、先天性の凝固障害を持つ女性も、弛緩出血のリスクが高くなります。
様々な薬剤も弛緩出血のリスクを高める可能性があります。例えば、硫酸マグネシウム(子癇の予防や治療に使用)、ニトログリセリン(子宮弛緩薬として使用)、ハロゲン化麻酔薬などは、子宮筋の収縮力を低下させる作用があります。
加えて、胎盤の異常(前置胎盤、癒着胎盤など)も弛緩出血のリスクを高めます。これらの状態では、胎盤付着部位の子宮筋が正常に収縮しにくくなるためです。
また、高齢出産、多産、肥満、貧血なども弛緩出血のリスク因子として知られています。これらの要因は、子宮筋の機能や全身状態に影響を与えることで、間接的に弛緩出血のリスクを高めると考えられています。
弛緩出血の原因を理解することは、リスクの高い妊婦を特定し、適切な予防策を講じる上で非常に重要です。また、弛緩出血が発生した際の迅速かつ効果的な対応にも役立ちます。しかし、全ての症例で明確な原因を特定できるわけではなく、また、リスク因子がない場合でも弛緩出血が発生する可能性があることに注意が必要です。

弛緩出血の前兆や初期症状について

弛緩出血は、多くの場合、突然発症し、急速に進行する可能性があるため、その前兆や初期症状を認識することが極めて重要です。以下に主な症状を説明します。
最も顕著な症状は、分娩後の持続的な出血です。通常、分娩後の出血は徐々に減少していきますが、弛緩出血では大量の鮮血が持続的に流出します。出血量は短時間で500ml以上に達することがあり、時には1000ml以上になることもあります。
子宮の触診所見も重要な指標です。正常な場合、分娩後の子宮は収縮して硬く触れますが、弛緩出血では子宮が軟らかく、弛緩しているのが特徴です。子宮底の位置も通常より高くなっていることがあります。
患者の全身状態の変化も注意が必要です。大量出血に伴い、次のような症状が現れることがあります。

  • 頻脈:心拍数が100回/分以上に増加します。
  • 血圧低下:収縮期血圧が90mmHg未満に低下することがあります。
  • 呼吸数の増加:呼吸が浅く速くなります。
  • 顔面蒼白:皮膚が蒼白になり、冷汗を伴うことがあります。
  • 意識レベルの変化:不安感や焦燥感が強くなったり、逆に意識が朦朧としたりすることがあります。

また、お産後の妊婦が「何となく気分が悪い」「体が冷たい」と訴えることも、初期の重要なサインかもしれません。

弛緩出血の前兆として、分娩中や分娩直後に次のような状況が見られた場合は注意が必要です。

  • 分娩第3期(胎盤娩出期)が遷延する。
  • 胎盤娩出後も子宮収縮が不良である。
  • 分娩中に子宮収縮薬(オキシトシンなど)への反応が悪い。

これらの症状や状況が認められた場合、医療者は弛緩出血の可能性を考慮し、迅速に評価と対応を行う必要があります。
患者や家族も、これらの症状に注意を払い、異常を感じた場合は速やかに医療者に報告することが重要です。弛緩出血は急速に進行する可能性があるため、早期発見と迅速な対応が患者の予後を大きく左右します。

弛緩出血の検査・診断

弛緩出血の診断は主に臨床症状と身体所見に基づいて行われますが、原因の特定や重症度の評価のために以下のような検査が行われることがあります。

視診と触診

外陰部や腟からの出血量と性状を観察します。
子宮底の位置と硬さを触診で評価します。弛緩出血では子宮が軟らかく、大きいことが特徴です。

バイタルサインの測定

血圧、脈拍、呼吸数、体温を測定します。
意識レベルも評価します。

血液検査

血算:ヘモグロビン値や血小板数を測定し、失血の程度や凝固障害の有無を評価します。
凝固機能検査:PT、APTT、フィブリノゲンなどを測定し、播種性血管内凝固症候群(DIC)の有無を評価します。
血液型とクロスマッチ:輸血に備えて行います。

超音波検査

子宮内の胎盤遺残や血腫の有無を確認します。
カラードプラ法を用いて子宮内の血流を評価することもあります。

出血量の測定

計量バッグや重量法を用いて出血量を可能な限り正確に測定します。

腟鏡診

頸管や腟壁からの出血の有無を確認します。

子宮内容物の病理検査

胎盤遺残が疑われる場合、子宮内容物の病理検査を行うことがあります。

診断基準としては、WHOの定義やその他のガイドラインに基づくと、分娩後から産後12週までの間に500ml-1000ml以上の出血がある場合、弛緩出血と診断します。
弛緩出血の診断では、他の産後出血の原因(例:産道裂傷、胎盤遺残、凝固障害など)との鑑別も重要です。これらの状態は症状が重複することがあり、適切な治療のためには正確な診断が不可欠です。
また、診断後も継続的な評価が必要です。出血量、バイタルサイン、子宮の状態を定期的にモニタリングし、治療効果を評価することが重要です。
弛緩出血の診断と管理には、迅速性と正確性が求められます。そのため、産科医療チームは常に弛緩出血の可能性を念頭に置き、適切な診断手順を迅速に実施できる体制を整えておく必要があります。

弛緩出血の治療

弛緩出血の治療は、出血のコントロールと患者の全身状態の安定化を目的として、迅速かつ段階的に行われます。以下に主な治療方法を説明します。

初期対応

子宮マッサージ:外部から子宮底をマッサージし、子宮収縮を促します。
膀胱カテーテル留置:膀胱を空にすることで子宮収縮を促進します。
バイタルサインのモニタリング:血圧、脈拍、呼吸数、意識レベルを継続的に評価します。

薬物療法

オキシトシン:第一選択薬として使用されます。筋肉内注射や静脈内投与で使用します。
エルゴメトリン:子宮収縮作用が強力ですが、高血圧のリスクがあります。
プロスタグランジンF2α:子宮収縮作用が強く、副作用が比較的少ないです。
ミソプロストール:経口、または舌下投与が可能です。

輸液・輸血療法

大量輸液:循環血液量を維持し、ショックを予防します。
輸血:赤血球輸血、新鮮凍結血漿、血小板輸血を必要に応じて行います。

機械的圧迫法

子宮バルーンタンポナーデ:子宮内にバルーンを挿入し、内部から圧迫します。

血管塞栓術

子宮動脈塞栓術:放射線科的介入により、出血部位の血管を選択的に塞栓します。

手術療法

子宮圧迫縫合:手術中の出血では子宮を外部から圧迫するように縫合することがあります。
子宮動脈結紮術:開腹して子宮動脈を結紮します。
内腸骨動脈結紮術:より中枢側の動脈を結紮します。
子宮全摘出術:最終的な選択肢として考慮されます。

凝固障害の管理

フィブリノゲン製剤、凝固因子製剤、抗線溶薬(トラネキサム酸)などを必要に応じて投与します。

治療の選択は、出血の程度、患者の全身状態、施設の設備などに応じて行われます。また、複数の治療法を組み合わせて行うことも多くあります。
治療中は、出血量、バイタルサイン、意識レベル、尿量などを継続的にモニタリングし、治療効果を評価しながら、必要に応じて治療方針を修正します。
また、大量出血に伴う合併症(DIC、腎不全、心不全など)の予防と管理も重要です。
弛緩出血の治療では、迅速な対応と多職種チームによる協力が不可欠です。そのため、多くの施設では弛緩出血を含む産後出血に対する対応プロトコルを整備し、定期的な訓練を行っています。

弛緩出血になりやすい人・予防の方法

弛緩出血になりやすい人

弛緩出血のリスクは様々な要因によって高まる可能性があります。リスク因子を理解し、可能な限り予防策を講じることが重要です。
弛緩出血になりやすい人としては、まず多産婦が挙げられます。出産回数が増えるにつれて、子宮筋の収縮力が低下する傾向があります。また、高齢出産も一つのリスク因子です。年齢とともに子宮筋の機能が低下し、適切な収縮が難しくなる可能性があります。
多胎妊娠や巨大児出産の経験者も、弛緩出血のリスクが高くなります。これは子宮の過伸展が原因で、分娩後の子宮収縮力が低下する可能性があるためです。同様に、羊水過多症の既往もリスク因子となります。
長時間の分娩や誘発分娩を経験した女性も、弛緩出血のリスクが高まる可能性があります。これらの状況では、子宮筋が疲労し、効果的な収縮が妨げられる可能性があります。
また、前置胎盤や癒着胎盤などの胎盤異常も弛緩出血のリスク因子となります。これらの状態では、胎盤付着部位の子宮筋が正常に収縮しにくくなります。
妊娠高血圧症候群や妊娠中の貧血も、弛緩出血のリスクを高める可能性があります。これらの状態は、子宮筋の機能や全身状態に影響を与えることで、間接的に弛緩出血のリスクを高めると考えられています。

予防の方法

予防方法としては、まず妊娠中からの適切な健康管理が重要です。また、分娩中および分娩直後の適切な管理も重要です。特に、第三期(胎盤娩出期)の積極的管理が推奨されます。これには、オキシトシンの予防的投与、臍帯の早期結紮、控えめな臍帯牽引などが含まれます。これらの方法により、分娩後出血のリスクを軽減することができます。
また、分娩後早期からの子宮マッサージも有効な予防策の一つです。これにより、子宮収縮を促進し、弛緩出血のリスクを軽減することができます。
リスク因子を持つ妊婦に対しては、分娩前から準備を整えることが重要です。例えば、貧血の改善、輸血の準備、多職種チームによる分娩計画の立案などが含まれます。
産後は、子宮収縮の状態や出血量を注意深く観察することが重要です。異常が認められた場合は、速やかに対応することで、重症化を防ぐことができます
これらの予防策を実践することで、弛緩出血のリスクを軽減できる可能性がありますが、完全に予防することは困難です。そのため、すべての分娩において弛緩出血の可能性を念頭に置き、迅速な対応ができるよう準備することが最も重要です。早期発見と適切な管理により、弛緩出血による重篤な合併症のリスクを最小限に抑えることができます。


関連する病気

  • DIC(播種性血管内凝固)
  • 血小板減少症(Thrombocytopenia)
  • 肝臓がん
  • 抗リン脂質抗体症候群

参考文献

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