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【闘病】子どもが大人になる姿を見たい。「乳がん」になった私が“恐怖”を乗り越えた方法

 更新日:2024/02/13

乳がんは女性の部位別がんで最も多いがん疾患であり、すべての女性が注意しなければなりません。乳がん検診を定期的に受診する中、次回の検診を待たずにしこりを発見し、病院で「乳がん」と診断された西田さん。「子どもが成長して大きくなった姿を見たい」という思いをモチベーションに、闘病期間を乗り越えられました。そこで西田さんに、手術や抗がん剤治療、自費でのリスク低減手術など詳しくお話を聞きました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2023年12月取材。

西田 久美子さん

体験者プロフィール
西田 久美子(仮称)

プロフィールをもっと見る

夫と子ども3人で暮らす50代の女性。2018年3月末頃の自己検診で、右胸にしこりを発見。近医を受診・検査して「乳がん」との診断を受けた。その後、大学病院での治療となり、4月に手術、5~11月まで抗がん剤治療や早期緩和ケアなども受け、現在はフルタイムで仕事をしている。

寺田 満雄

記事監修医師
寺田 満雄(名古屋市立大学病院乳腺外科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

母も乳がんだったことで、早期受診へとつながった

母も乳がんだったことで、早期受診へとつながった

編集部編集部

西田さんの乳がんが判明したきっかけを教えてください。

西田 久美子さん西田さん

2018年3月末頃、お風呂上りに自己検診していたら右胸にしこりを見つけました。私の母も乳がんだったため、普段から定期検診は受けていたのですが、ちょうど検診と検診の間のことでした。地域の小さなクリニックに予約が取れたので、翌週にマンモグラフィとエコー検査、針生検も受けて「乳がん」と確定しました。

編集部編集部

医師からは乳がんについてどのような説明があったのでしょうか?

西田 久美子さん西田さん

そこのクリニックでは治療ができないため、大学病院を紹介されました。大学病院では「紡錘細胞がんという化生がんの可能性が示唆される、早急に治療に入る必要がある」と言われました。

編集部編集部

「紡錘細胞がん」とは聞きなれない種類ですが、どのようながんなのでしょうか?

西田 久美子さん西田さん

「紡錘細胞がん」は化生がんに分類される珍しいタイプのがんで、進行が急速に進みやすいものです。化生がんは特殊型乳がんとも呼ばれていて、本来の細胞が持つ性質とは違った細胞に変化するそうです。全乳がんの1%未満に発生するとされて、通常の乳がんよりも急速に大きくなる危険性が高いといわれました。また、抗がん剤の効果が出にくいものが多いことに加え、肺や脳への転移も起こしやすいらしく、すぐに手術が必要になりました。

編集部編集部

手術はいつ頃行われましたか?

西田 久美子さん西田さん

4月末頃に診断を受け、4月末には手術を行いました。大学病院を受診した翌日にCT検査で転移の有無を確認しました。抗がん剤が効かずに手術ができなくなる可能性もあったため、すぐに手術をすることになりました。

編集部編集部

手術の結果、がんの詳しい状態はどのようなものだったのでしょうか?

西田 久美子さん西田さん

手術は右乳房全摘手術を行いました。乳がんはトリプルネガティブ(エストロゲン受容体陰性・プロゲステロン受容体陰性・HER2陰性)のステージ1でした。すべてが紡錘細胞がんではなく混合型で、幸いリンパ節転移もなかったことがわかりました。

編集部編集部

抗がん剤治療は行ったのでしょうか?

西田 久美子さん西田さん

手術を終えて、5月から11月までFEC療法wPTX療法(週1回のパクリタキセル投与療法)を行いました。並行して早期緩和ケアとして精神腫瘍科でのカウンセリングも受け、現在も定期的に受診しています。

編集部編集部

その後、再発や転移などもなく経過されているのですね。

西田 久美子さん西田さん

3カ月ごとに経過観察を行っていますが、現在のところ再発・転移・新たながんの発生などはありません。ただ、がん治療は落ち着いているのですが、2021年には白内障手術を行いましたし、今は緑内障と高血圧の治療をしていて大変です。

子どもや仲間の存在が支えになることを実感

子どもや仲間の存在が支えになることを実感

編集部編集部

最初に病気が判明した時の心境についても教えてください。

西田 久美子さん西田さん

乳がんであることは覚悟していましたが、そこまで怖いタイプのがんだと思っていなかったためパニックになりました。すぐ死んでしまうんじゃないか」と思うと、とにかく怖くてたまりませんでした。自分でも紡錘細胞がんについて調べ、その内容に絶望もしました。とにかく朝が来るのが怖くて、夜眠るのも怖かったことを憶えています。

編集部編集部

西田さんは当時自費で遺伝子検査なども受けられたと伺っております。がんへの対策としてどのようなことをされたのでしょうか?

西田 久美子さん西田さん

私は抗がん剤治療の影響もあって「発熱性好中球減少症」で2回の入院を経験しました。それから少しでも生きられる可能性を求めて自費で遺伝学的検査を行ったところ、HBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)と診断されました。そのため、2019年3月にはがんの再発や新たながんのリスクを減らすため、卵巣・卵管・健側乳房同時リスク低減手術を自費で行いました。婦人科では半年ごとに経過観察を行っています。

※2020年4月からは、条件があえばHBOCの検査およびリスク低減乳房切除術やリスク低減卵管卵巣摘出術は保険診療で受けることができます。

編集部編集部

病気が発覚してから治療期間中、生活に変化などはありましたか?

西田 久美子さん西田さん

当時は忙しく働いていたのですが、すぐに治療に入ったため仕事を休みました。職場に病気であることは伝えていたものの、ショックからそのことを話すのも嫌で家に閉じこもっていましたね。

編集部編集部

気持ちが立ち直ったきっかけはありますか?

西田 久美子さん西田さん

まず、子どもたちが大人になる姿を見たいという気持ちです。私には子どもが3人いて、小学3年生、高校生と大学生です(罹患当時)。子どもたちのためにも「もう少し生きなくては」という思いで乗り越えられました。もう1つは、遺伝性乳がんや卵巣がんの仲間と出会ったことです。自分と同じ立場だからこそ、素直な話ができて、支え合うことができるのだと実感しました。

編集部編集部

西田さんは現在、ご自身の経験を生かした取り組みもされているそうですね。

西田 久美子さん西田さん

自分が経験した恐怖は、ただ怖い病気として認識していた無知のせいだったと思っています。これから大きくなる子どもたちに、同じ思いはさせたくありません。もし自分や自分の大切な人ががんになった時にも慌てないよう、がんについて知ってもらう「がん教育」に少しずつ取り組んでいます。また、「今泣いている仲間がいたら話ができる場所を設けたい」と思い、月に1回がん当事者会を開催しています。

編集部編集部

お仕事にも完全に復帰されたのでしょうか?

西田 久美子さん西田さん

今ではがんだったことを忘れる時間が増え、仕事はフルタイムで頑張っています。

がんについてきちんと知って、「正しく怖がろう」

がんについてきちんと知って、「正しく怖がろう」

編集部編集部

がんは2人に1人がかかる時代と言われる中で、リスクへの対策を取られるのは素晴らしいと思います。がんについて広く理解してもらうために、がん患者さんやがんサバイバーの周囲にいる人に、どのようなことを知ってもらいたいですか?

西田 久美子さん西田さん

私は今、普通に生活していますが、がんは完治したわけではなく、摘出した胸も元には戻らなければ傷跡も消えません。再発・転移への不安が心から消えることもありません。だからといって、「かわいそう」とは思われたくもないという複雑な感情を持っています。元気そうに見える人の中にも、こういう病気を持った人はたくさんいるのだということを知っていただけると嬉しいです。

編集部編集部

西田さんから医療従事者に希望したいことはありますか?

西田 久美子さん西田さん

主治医を信頼できれば、患者は大きな安心感を持って治療を受けることができることを実感しました。大きな病院ではゆっくり時間を取るのは難しいと思いますが、しっかりと目を見て温かい態度で話してもらえると、より安心感が増すと思います。また、診察室では話せないこともあるので、がん専門看護師やカウンセラーなどに繋いでいただいたり、がん相談センターなども気軽に使えるようになったりするといいなと思います。

編集部編集部

西田さんの経験を通して、一番強く感じたこと、伝えたいことは何でしょうか?

西田 久美子さん西田さん

前向きな患者じゃなくてもいいこと、泣いてもいいことです。そして、がんについてきちんと知って、正しく怖がることが大切です。

編集部編集部

ありがとうございます。最後に読者向けにメッセージをお願いします。

西田 久美子さん西田さん

元気だと思っていたのに、ある日急に「がん患者」になり、闘病が始まるのががんという病気です。痛くもかゆくも苦しくもないのに、手術を受けて抗がん剤をしなければなりません。私はネットの情報に踊らされ、食べ物も受け付けられなくなりました。がんとはどんな病気で自分の状態はどうなのか、治療の方法が分からなかった時が一番怖いと感じていました。がんはいつ、誰の身に起こっても不思議ではありません。当時はなかなか前向きになれませんでしたが、今は弱音は吐いてもいいし泣いても構わない、前向きになれない自分を責めないようにしてください。

編集部まとめ

乳がんの中でもまれな化生がん(紡錘細胞がん)を経験した西田さんへのインタビューでした。西田さんのお言葉にあった通り、がんはある日突然告知され、痛みも辛さも感じない中で治療をすることも珍しくありません。がんについてさまざまな情報が手に入る時代になりましたが、現代医学は日々進歩しており、正しい情報を取捨選択していくことが「がん」について知る第一歩です。本記事を読んで、がんという病気について正しい知識を身に付けることの大切さを多くの方が理解してくださることを願います。

この記事の監修医師