目次 -INDEX-

  1. Medical DOCTOP
  2. 医科TOP
  3. コラム(医科)
  4. 【闘病】ずっと「異常なし」だった激痛の正体 「脳脊髄液漏出症」だったとは…

【闘病】ずっと「異常なし」だった激痛の正体 「脳脊髄液漏出症」だったとは…

 公開日:2023/07/14
【闘病】ずっと「異常なし」だった激痛の正体 「脳脊髄液漏出症」だったとは…

「痛み」は、目に見えず、どの程度痛いのかを客観的に説明するのも難しいため、周囲からの理解が得られず苦しむ闘病者が少なくありません。闘病者の重光さんは、痛みによって生活ができなくなってしまったのにも関わらず、病院では9か月間「異常なし」と言われ続けたと言います。結局のところ、痛みの原因は「脳脊髄液漏出症」でした。そこで、症状が表れてから現在に至るまでの話を聞かせてもらいました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年6月取材。

重光喬之さん

体験者プロフィール
重光 喬之(しげみつ たかゆき)

プロフィールをもっと見る

20代半ばで脳脊髄液漏出症を発症し、2度の退職と5年の寝たきりを経て、制度の狭間で孤立する難病者の選択肢を増やそうと、難病者の社会参加を考える研究会を立ち上げる。趣味はSF小説と曲作り。疼痛により、せっかちさと円形脱毛症に拍車が掛かる。
難病者の社会参加を考える研究会「りょういく
難病者の社会参加白書
脳脊髄液減少症患者向けのエピソード共有サイト「feese
https://readyfor.jp/projects/ryoiku

村上 友太

記事監修医師
村上 友太(東京予防クリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

9か月間、「異常なし」と言われ続けた

9か月間、「異常なし」と言われ続けた

編集部編集部

最初に不調や違和感を覚えたのはいつですか?

重光喬之さん重光さん

2005年夏頃、急激に首や背中が痛み出しました。日を追うごとに痛みが増していき、わずか数日で生活や仕事がまともにできなくなりました。

編集部編集部

受診から、診断に至るまでの経緯を教えてください。

重光喬之さん重光さん

最初は家族の掛かりつけの大学病院の整形外科でレントゲン検査などを受けましたが、結果は「異常なし」と言われました。次にペインクリニックに行きましたが、やはり原因が分からず、シップや痛み止めを処方されただけで、改善することはありませんでした。その後もいくつかの病院をまわりましたが診断名がつかず、強い痛みのため仕事も休みがちになっていきました。

編集部編集部

痛みを抱えたままだと辛いですね。

重光喬之さん重光さん

たまたま職場の上司の知人が似たような症状を抱えていると聞き、そのつてで患者会を紹介してくれました。患者会で教えてもらった病院で診てもらったところ、「脳脊髄液漏出症の可能性がある」ということで検査入院をすることになったのです。入院まで半年待ちましたが、検査の結果「脳脊髄液漏出症」と診断されました。この頃、すでに痛みで何もできなくなり、仕事も休職し、一日中横になる生活でした。

編集部編集部

脳脊髄液漏出症とはどんな病気なのでしょうか?

重光喬之さん重光さん

脊髄に何らかの要因で穴が開き、中から脳脊髄液が漏れ出す病気です。多くは交通事故でのむち打ちや柔道の受け身の失敗などの事故が原因とされる外傷性で、ほかにも脊椎穿刺などの医原性、原因不明の突発性と様々な発症要因があり、症状も多種多様な疾患です。

編集部編集部

どのような治療法があるのですか?

重光喬之さん重光さん

硬膜外自家血注入療法(ブラッドパッチ療法)という治療があります。造影剤を加えてレントゲン透視下で、脊髄硬膜外腔に自身の血液を注入し、硬膜外腔組織の癒着・器質化により穴をふさぎ、髄液の漏出を止める治療です。1~2回の治療で改善する人もいれば、改善せずに慢性化する人もいます。2012年にブラッドパッチ治療が先進医療になり、2016年から一部保険適用になり現在に至ります。そのため当時は入院手術をしても医療保険が使えず、10割負担で高額療養費の還付もなく、金銭的にも苦労しました。

編集部編集部

診断がついたときの心境について教えてください。

重光喬之さん重光さん

診断名がつくまでの9か月間、「異常なし」と言われ、「自分は本当は病気ではなく、気のせいではないか。気持ちの問題ではないか」と悩んでいたので、病気だったとわかり安心しました。診断名がついたので、治療すれば完治して、元通りに生活、仕事をしながら、趣味の音楽を続けられると前向きになっていたのを思い出します。

虫垂炎になってもわからないくらいの激痛

虫垂炎になってもわからないくらいの激痛

編集部編集部

実際の治療はどのように進められましたか?

重光喬之さん重光さん

入院→画像診断→ブラッドパッチ療法→ひたすら安静、といった感じです。発症から治療の期間にもよりますが、8割程度の方が改善するとのことでした。ただし、患者数に対して治療できる病院が少なく、検査や治療が数か月先になることも常態化しているようで、診察や治療に長い年月を要しました。私自身は、これまでに5回入退院を経験しています。

編集部編集部

治療の効果はどうでしたか?

重光喬之さん重光さん

発症後の数年間は誰かと会話をした直後に内容を覚えていなかったり、時計を見てもすぐに時間が分からなかったり、まぶしくて目を開けていられないなどの症状もありました。それが、ブラッドパッチ療法や投薬を繰り返すうちに、そうした症状は改善しました。ただ、痛みは改善せず24時間365日、激痛があるという状態が続いています。絶えず続く痛みの中で日常生活や仕事を続けると、痛みのストレスに加えて、痛くて物事がうまく進められず、これまで4回円形脱毛症になりました。ひどい時は半分の髪が抜け落ちますが、投薬や治療が効いたり、長期療養をしたりすると、あっという間に元に戻ります。

編集部編集部

痛みがおさまらないというのは辛いですね。

重光喬之さん重光さん

いつも激痛の中にいるので、気づかずに盲腸を半年我慢してしまい、緊急手術になりました。常日ごろ痛いので違いがわからず、時に脂汗を書きながら我慢し続けていました。結局、救急で検査してすぐ手術となりました。発症から時間が経っていたため、患部が癒着して通常1時間半のところ3時間の手術になり、術後、医師から虫垂が破裂寸前だったと教えてもらいました。

編集部編集部

病気の前後で変化したことを教えてください。

重光喬之さん重光さん

痛みでいつもイライラしてしまい、短絡的でいつも落ち着かず、自分の性格が変わったように思います。また、連日の激痛で怖いことがなくなりました。極端な言い方をすると、失敗しても今よりしんどくなることはないし、何かあって死んでしまったとしても痛みから解放されるなと。だから、なんでも気負わずやろうと思えるようになりました。一方で、過去の自分や他者と比較して、いまだに自分自身が受け入れられないことも多々あります。それでも、徐々に受容できてきた気がします。自分の「これはできない」が分かってくると、周囲に助けを求めることができるようになりました。

病気の有無に関わらず、それぞれが生きやすい社会へ

病気の有無に関わらず、それぞれが生きやすい社会へ

編集部編集部

重光さんはサイトの運営などもされていますね。

重光喬之さん重光さん

はい。家族や友人であっても、よく分からない病気への理解を得ることは難しく、分かって貰えないと悩んでいました。そんな中、ネットで同病の方々と出会い、同じように苦しんでいる人がほかにもいることが分かり楽になりました。ただ、当事者同士の合う・合わないもあるので、非交流でエピソードの共有ができないかと思って、webサイトを作りました。

編集部編集部

ご自身も大変な状況でのその行動力はすごいですね。

重光喬之さん重光さん

また闘病患者の困りごとは、多少の違いはあれど、病名もあまり関係ないことに気づき、2018年から難病患者の社会参加を考える研究会を立ち上げました。多くの方にご一緒していただきながら、難病患者の置かれた状況を調査し、就労事例を作り、認知啓発をし、政策提言をしてきました。昨秋に、活動を「難病者の社会参加白書」としてまとめて全自治体に届けることもでき、少しずつ変化も出てきました。

編集部編集部

今までを振り返ってみて、後悔していることなどありますか?

重光喬之さん重光さん

ブラッドパッチ治療直後はしばらく調子がよくなるので、「これで動ける、治る」と少し体を動かしてしまったことが原因で寛解しなかったのかもと考えたことはあります。それでもその時々を精一杯過ごしてきたので、後悔していることはありません。

編集部編集部

現在の体調や生活はどうですか?

重光喬之さん重光さん

残念ながら疼痛は改善されず、加齢もあって気力が低下したように思います。文章を読んでも頭に入らず、15分起き上がってパソコン作業するので精一杯です。1日20時間ぐらい横になる生活が数年続き、すっかり社会との接点も減りました。社会的な経験をする機会が少ないので、精神的な発達というか、常識が実年齢に伴っていないことを残念に思いますが、仕方ないので開き直って生きています。オンラインが当たり前になったので、仕事はしやすくなりましたが、たまに人と会うと挙動不審になってしまいますね。

編集部編集部

医療機関や医療従事者に望むことはありますか?

重光喬之さん重光さん

診断されて間もないころ、病院によっては病気の存在を否定されたり、痛みは解消できないと言われたりしたことも、精神科の受診を勧められたりしたこともあります。難病患者界隈ではよく聞く話です。また医療も社会制度も研究や対応に時間が掛かり、その間、当事者は蚊帳の外にされがちです。医療従事者も厳しい中精一杯やっているのは想像できますが、病名がつかなくても症状で苦しんでいる患者がいることを頭の片隅に留めて貰えたらありがたいです。

編集部編集部

最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。

重光喬之さん重光さん

私は何よりも健康が大切だと日々思っています。しかし、病気で制約があるからこそ好きなこと、大切なことを選べるようにもなりました。できないことが増えたことで、他者へ感謝する機会も増えました。病気になってよかったと思えることはないですが、病気になったからこそ気づけたことです。難病を抱える人の働き易い社会は、誰にとっても暮らしやすい社会になると信じて、これからも取り組みを続けていきます。

編集部まとめ

診断がつくまで、そして診断がついてからの治療でも、たくさんの痛みや苦しみと向き合ってきた重光さん、それでも、同じように苦しむ難病患者のために活動し、発信を続けています。社会に少しずつ変化も出てきたとのことで、非常に心強く感じます。重光さん、ありがとうございました。これからも応援しています。

この記事の監修医師