【闘病】しばらく続いた発熱は『急性白血病』だった… それでも「病院」を避けていたワケ

当時40代手前、働き盛りだった小宮さんは「急性骨髄性白血病」と診断されました。 急性骨髄性白血病(AML)は、造血幹細胞から分化した骨髄系幹細胞ががん化することで発症する血液のがんです。骨髄性白血病の中でも、がん化した細胞が急速に増えるタイプを急性骨髄性白血病と呼びます。日本では、1年間に人口10万人あたり約4人が発症するとされています。現在はがん経験者としてさまざまな活動をおこなっている小宮さんに、これまでの話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2025年4月取材。

体験者プロフィール:
小宮 諒
茨城県在住、1981年生まれ。二児の父。診断時はコンビニエンスストアの店舗アドバイザーとして勤務。2020年3月に急性骨髄性白血病と診断される。2022年4月に就業制限解除され、現在は同会社でデジタル事業の担当をしながら茨城がん体験談スピーカーバンクという団体に参加し、小中学校の外部講師としてがんの経験を話したり、仕事ではコンビニエンスストアの駐車場で献血活動を実施したりしている。
コロナ禍で病院への足が遠のく

編集部
小宮さんが最初に感じた体の異変はどんなものでしたか?
小宮さん
2020年元旦の午前中は、近所の友人と公園でワイワイと凧揚げをして「正月休みは楽しいなあ。明日は親戚の集まりだ」と思っていたところでした。ですが、その日の夜に発熱。38度前後で早々に床につきました。翌2日は、朝から39度前後の熱があり、病院もやっていないので、親戚の集まりを妻と子どもに任せ、自宅で寝ていました。正月休み明けで病院に行き、A型インフルエンザの診断を受けました。有給休暇も使用し、同月14日に仕事復帰しました。
編集部
その後も症状は続きましたか?
小宮さん
その後も3月まで仕事をしていましたが、副鼻腔炎と中耳炎が続いていました。同月の17日 、仕事中に突然太もも裏に激痛を感じました。翌日は 何とか仕事をこなしましたが、次の日、痛みで地下鉄への階段の上り下りがつらくなってきました。階段脇にある手すりを使わないと、動けないほどでした。さらに翌日には、痛みで通常1時間の通勤が2時間もかかり、就寝前には39度の発熱。太もも裏の激痛に限界を感じ救急車を呼びました。
編集部
なかなか病院へ足が向かなかったのですね。
小宮さん
最終的には我慢ができず救急車を呼びましたが、当時は新型コロナウイルス感染症が広まりつつある時期で、会社で感染者第1号になってしまうことが怖くて我慢してしまいました。当時は、世間的にも、病院に行きにくいような雰囲気もあったかと思います。そのため、病院への受診が遅くなってしまいました。
編集部
病院ではどのような対応をされましたか?
小宮さん
最初に運ばれた病院での検査では、太もも裏に細菌が入っているのがわかり、抗生剤で処置しましたが、熱は下熱剤を飲んでもあまり効きませんでした。やがて、そろそろ帰れるかなと思っていた夜中2時に、検査結果が出ました。血球値が異常で、同年齢の3分の1程度しかないとのことで、医師から即入院を告げられました。検査結果の確認をしてもらうと「急性白血病かウイルス性の血液病の疑いあり」とのことでした。その病院は常勤の血液内科医はいないとのことで、血液内科医が常勤でいる病院へ転院が決定しました。年始からのインフルエンザなどを含めて、白血球や血小板の値が下がって免疫が低下していることから、さまざまな病気になっていることが分かりました。
編集部
転院先の医師からは、どのような説明をされましたか?
小宮さん
入院当初、「血液疾患の疑いがあれば、精密検査が必要である」と伝えられました。血液検査、心電図、レントゲン、エコー検査、骨髄穿刺などの検査をした結果、「急性骨髄性白血病と太もも裏の蜂窩織炎」の診断を受けました。その後、移植をしたほうが再発の可能性が下がるという説明があり、造血幹細胞(血液を作る源となる細胞)移植をおこなうことになりました。
闘病を支えた人々と気持ちの変化

編集部
造血幹細胞移植にいたるまでの経緯を教えてください。
小宮さん
転院後、抗がん剤治療が開始となり、複数回、抗がん剤の種類を変えながらドナーさんの適合を探していました。兄弟にもお願いはしましたが、条件が合いませんでした。コーディネーターと医師からは「骨髄バンクではヒト白血球抗原であるHLA型が完全に一致するのは難しい」とのことで、造血幹細胞がたくさん含まれているさい帯血を移植するさい帯血移植が提案されました。そして、翌年の8月に放射線治療を複数回おこなったのち、さい帯血移植をおこないました。その約2カ月後に退院し自宅療養をしながら通院をおこない、2021年11月に就業制限付きで仕事に復職しました。
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
小宮さん
健康には無頓着な私でしたが、病気発症当時は子どもが保育園児で家や車のローンもあり、生活的な不安から「健康」というものの重要性を感じました。そして、時間の有限性も感じ、今まで惰性的だった仕事についても、目的意識を持つようになりました。
編集部
病気を発症して、一番つらかったことは何ですか?
小宮さん
離婚をしたことです。何事にも目的意識を持つようになったことで、私の中で許諾できる物事の範囲が狭くなったと思います。価値観の相違があっても「まぁまぁ」で済んでいたことが、そうでなくなってしまいました。その私自身の変化によって、パートナーには迷惑をかけたと感じています。
編集部
つらいときに心の支えにしていたものはありますか?
小宮さん
2人の子どもです。幼い子どもを見ると、成人するまで育つ姿を見ていたいと思いました。また、高齢の母が「白血病」という言葉を聞いて絶望していたということを聞きました。年代により白血病に対するイメージや情報量も相違があり、母のためにも生きないといけないと思いました。
編集部
闘病生活の中で何か印象に残っていることなどありますか?
小宮さん
蜂窩織炎で体の自由が利かずに途中で倒れ、夜中にトイレまで間に合わなかった経験があります。40歳近い男性がそういった経験をするのは、あまりにも悔しくて泣いてしまいました。そんなとき、看護師さんはよくあることだと寄り添ってくれ、嫌な顔ひとつせずに片付けてくれました。また、抗がん剤で髪の毛が抜ける姿を子どもにどうやって見せるべきか悩んでいると、看護師さんが「抜ける前に剃る」提案をしてくれ、理容師さんを病棟まで呼んでくれました。
抗がん剤開始前散髪
編集部
ご家族やご友人はどうでしたか?
小宮さん
子どもや友人はオンラインでの交流の場を何度も作ってくれました。子どもは当時保育園児でしたが、自宅にある通信機器を利用して、毎晩同じ時間にご飯を食べてくれました。また、高齢の母は初めてオンライン通話の方法を覚えてくれました。色んな場面でさまざまな人が私を孤独にしないような努力をしてくれたのは、大変うれしかったです。
編集部
現在の小宮さんの体調や状況はいかがでしょうか?
小宮さん
現在は、症状がないときは日常生活に支障ありません。しかし、風邪をひきやすく、気道に炎症が頻繁に起きます。また、結膜炎や中耳炎、副鼻腔炎なども年に複数回起こすため、仕事がままならないときがあります。現在43歳で老化と移植後の症状が重なり、なかなか健康である日々は少ないですが、うまく向き合っていきたいと思います。
編集部
医療従事者に期待することはありますか?
小宮さん
大変忙しい環境で働いているのを見て、法改正などで働き方の改善がされることを期待しています。医療従事者を取り巻く現況は大変かと思いますが、いずれ患者に寄り添う時間がもっとできる日が来ると思います。そのためにも分業化だけでは達成しえない一人ひとりへの寄り添い方を組織として模索し続けていただければ大変ありがたいです。
病気からの学びを人生の目標に

編集部
現在の目標や夢は何ですか?
小宮さん
血液の病気になり、血液事業の大変な状況を知りました。若年層に対する献血推進などについてはプライベートでも仕事でも何か関与できることがないかを考え、進めていきたいと考えています。
編集部
実際に取り組んでいることを教えてください。
小宮さん
現在は「茨城がん体験談スピーカーバンク」という団体に参加しながら、小・中学校で外部講師としてがんの経験を伝えています。仕事でもさまざまな場面で自分のがん経験を伝える機会をもらっています。また、2023年には東京マラソンの移植者部門に参加して完走することができ、とても達成感がありました。がんを経験したことで、精神的により強くなったと感じています。
編集部
小宮さんが病気から学んだことは何ですか?
小宮さん
病気や離婚など、さまざまな経験を40歳前後で経験しましたが、人間は感情も身体も片側に振れたときに、ゴムのように戻ろうとする力が自然と発生します。「死ぬかもしれない」という経験で、人生が有限であることを40歳手前で感じることができました。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
小宮さん
多くの人にとって「健康」は、病気になってみないと興味・関心はわかないものだと思いますが、病気になる前に防ぐことができる「病気」がたくさんあることを知りました。健康診断や人間ドックの検査結果は少しでも悪いところがあれば、ぜひ診察を受けてください。
編集部まとめ
コロナ禍だったこともあり、受診までに時間がかった小宮さんは、少しでも異変を感じたら早めの受診をすることで防げる病気もあるとおっしゃっています。また、ご自身の体験から献血の大切さに気づき、今では精力的に若年層への献血推進活動などをされています。一人でも多くの人が献血をすることにより、助かる命があることを改めて考えさせられました。
なお、メディカルドックでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。

記事監修医師:
今村 英利(タイムルクリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。


