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【闘病】骨折から命を脅かす病に! 「骨髄炎」とは? 風邪と思っていたら…

 更新日:2024/06/21

自分が急に入院、さらに手術が必要となった時、長期間の入院を余儀なくされた時、気持ちを前向きに切り替えるのには時間がかかるものです。当時高校2年生だった闘病者のえむさん(仮名)も、骨髄炎で入院・手術が必要と言われた時は涙が止まらなかったそうです。骨髄炎になった経緯や治療、医療者への感謝、そして新たな夢などについて、語ってもらいました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年2月取材。

> 【写真】入院していたときのえむ(仮称)さんの様子

 

えむさん

体験者プロフィール
えむ(仮称)

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新潟県在住の19歳。たくさんの病気と闘いながら臨床心理士になるため大学で心理学を学んでいる。高校2年生の夏に事故により骨折・手術の後、術後感染から骨髄炎を発症。1ヶ月半に4度の手術や苦しい点滴の副作用に耐えながらの入院治療を終え、今は発症前とほぼ同じように日常生活を送っている。

柏木 悠吾

記事監修医師
柏木 悠吾(医療法人社団橘会橘病院)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

「今すぐ入院、明日手術」

「今すぐ入院、明日手術」

編集部編集部

最初に不調や違和感を感じたのはいつですか? どういった状況だったのでしょうか?

えむさんえむさん

2021年の11月16日、今でも日付を覚えています。目覚めた時に、鮮明な左膝裏の痛みが出たのが最初の違和感です。その日は安静にして、家の中だけ手持ちの松葉杖で膝に負担がかからないように移動をしていました。翌日には急に40℃近く熱が出て、母に相談しましたが、私も母も「風邪だろう」と思って解熱剤を服用して様子を見ていました。膝の痛みと「夜に熱が上がり朝には元の平熱に戻る」ということが続きましたが、病院に行くということは考えていませんでした。「大丈夫、歩きすぎて足に負担かかっていたのかな、疲れていたし」。そんな感覚でした。

編集部編集部

受診から、診断に至るまでの経緯を教えてください。

えむさんえむさん

症状が出てから3日後の金曜日、たまたま持病の関節リウマチの外来があったので、少し相談しました。そこでは「膝の水が若干溜まっているくらいで異常はなし」と言われたのですが、日曜日の夜になっても熱が下がらず、加えてご飯を食べる体力、起き上がる体力もなくなっていました。今までできていたことができなくなり、少しでも足を動かすと痛くて歩けない状態になっていました。仕方なく急患センターに行きました。が、新型コロナもインフルエンザも陰性、整形外科の当番の先生に対応してもらいレントゲンを撮りましたが「異常なし」。痛み止めの注射を打ってもらい、「様子を見ましょう」と言われて帰宅しました。

編集部編集部

そこからどのように診断されたのですか?

えむさんえむさん

翌朝、痛がってだるそうにしていた私の姿を見た母が、かかりつけだった市民病院を受診しようと言ってくれて受診しました。膝の状態を見せて今までの経緯を伝えたところ、主治医の先生が直ぐにエコーをした上で膝の水を抜き、検査に出してくれました。さらに追加で採血とCTとレントゲンをおこない、採血ではCRP(炎症の値)が1.0でも高値なのに、私は37.0という結果が出ました。今思えば、普段落ち着いている先生が慌てた姿で「間違いなく術後感染による骨髄炎」と言っていました。実はその少し前に、大腿骨骨折で手術をしていたのです。そして救命センターに緊急入院することが決まりました。

編集部編集部

治療についてはどのような説明でしたか?

えむさんえむさん

「CRPの値が異常値すぎるので今すぐ入院してください」と言われ、心の準備もできていないのに「明日は祝日だけど緊急手術をする」と言われました。この時にもらった病状説明書と同意書には「骨折術後感染」「骨髄炎」と書かれていました。

家族に会えないのが1番辛かった

家族に会えないのが1番辛かった

編集部編集部

どんな病気なのでしょうか?

えむさんえむさん

簡単に言えば、手術した部分に細菌が入って増殖することで起こる感染症で、骨に膿が溜まったり熱が出たりする病気です。まれに気づくのが遅くて亡くなる人もいるみたいです。骨折の治療が完了していなかった私は、感染の影響で骨がなかなかくっつかなくて、骨折の治療も長引いてしまいました。

編集部編集部

どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?

えむさんえむさん

点滴で抗生剤を投与するのと、手術で膿を取って、骨に骨髄針という太い針を刺し、そこから抗生剤を流す治療をするとのことでした。膿が消えてCRPの値が正常に戻るまでは手術を繰り返し行う可能性が高く、11月22日の入院だったのですが、年内に帰れるかは分からないとのことでした。

編集部編集部

そのときの心境について教えてください。

えむさんえむさん

そこまで大変な状況だとは思わずに受診していたので、「このままだと危険で命を落とす可能性もある」と言われ涙が止まりませんでした。生きたいから治療を頑張りたい反面、家にいてやりたいこと、友達との遊びの約束、楽しみなことがたくさんあったのでとてもショックでした。歩くのもやっとなくらい痛かったのに、それでも家に帰りたいと思っていました。年末も、クリスマスイブの自分の誕生日も入院中である可能性が高かったので、正直メンタルが持たなかったです。コロナ禍での入院ということで、面会も制限され、家族にも会えないのが1番辛かったです。でも色んな人の支えがあったからこそ治療を受け入れられたのだと思います。

編集部編集部

実際の治療はどのようにすすめられましたか?

えむさんえむさん

入院して病棟に着いたら直ぐに抗生剤の点滴が始まりました。そして、翌日には緊急で1回目の手術。病室に戻り目が覚めたら太ももにはたくさんの管がありました。そしてほぼ毎日採血していたのですが、CRPの値も良くなったり悪くなったりで、手術は約1ヶ月半で4回おこないました。さらに、手術のダメージによってヘモグロビンが危険な値まで下がったので、何度も緊急輸血しました。傷跡などの痛みも強く、医療麻薬を使わないと耐えられないほどでした。症状がある程度落ち着いてからは、できる限り元の日常生活に戻れるためにリハビリテーションをおこないました。

編集部編集部

受診から手術、現在に至るまで、何か印象的なエピソードなどあれば教えてください。

えむさんえむさん

元々血管が細く、さらに点滴を長期間していたので血管が脆くなってしまい、よく点滴が漏れていました。その度に主治医の先生がエコーを使って点滴のルートを確保してくれていたのをよく覚えています。そして治療が思うようにいかず、年末年始もクリスマスイブ(私の誕生日)も病院にいたので、看護師さんに誕生日を祝ってもらったり、個室で一緒に少し紅白を見たり、あとは看護師さんが、帰りがけに「また明日来るね」と顔を出してくれたり。1人で寂しい時間が圧倒的でしたが、そんな小さな楽しみが治療を頑張るモチベーションになりました。

病気を経験し、臨床心理士を目指す

病気を経験し、臨床心理士を目指す

編集部編集部

病気の前後で変化したことを教えてください。

えむさんえむさん

ヘモグロビンがとても少なくなり、何度も何度も数え切れないほど輸血をしました。輸血のパックには、どこの県の人の血液か書かれていて、ひんやりした血液が私の体に入る度に献血をしてくれている人へのありがたみを感じました。私自身は何度も輸血しているので献血はできませんが、支えてくれた人たちに何か恩返しがしたいという思いから、心のケアを職とする臨床心理士を目指そうと思い、今、心理学が学べる大学に通っています。また、家に1ヶ月半帰れなかったので、家族と一緒にいられる時間は当たり前のようで当たり前じゃないのだと強く実感しました。

編集部編集部

今までを振り返ってみて、後悔していることなどありますか?

えむさんえむさん

骨髄炎という病気は知らなかったものの、熱が出て苦しい時、「風邪」と自己判断して我慢せず、もっと早く受診しておけば良かったなと思っています。いつもと全然違うなと思ったら、ためらわずに受診するべきでした。

編集部編集部

現在の体調や生活はどうですか?

えむさんえむさん

骨折や骨髄炎の治療を全て終え、お世話になった市民病院への通院も終わりました。左足のリハビリテーションはまだ必要なので、月に1回大学病院に行っていますが、経過は順調でもうすぐリハビリテーションを卒業できそうです。長く入院していたので高校生活は楽しめなかったけれど、今はやりたいことを沢山やれて、無理だと思っていたアルバイトや大学進学もできました。

編集部編集部

医療機関や医療従事者に望むことはありますか?

えむさんえむさん

「私の命を助けてくれてありがとうございます」と伝えたいです。私の治療に携わった先生のうち何人かは、異動などで治療が終わったころに直接お礼を言うことができませんでしたが、本当に感謝しています。これからは患者としてではなく、臨床心理士として人を支えていきたいと思っています。

編集部編集部

最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。

えむさんえむさん

骨髄炎になったことで「生きるって当たり前のようで当たり前じゃない」と教えてもらいました。そして、数え切れないほど手術を受けた私の体には、手術によって生まれた傷跡が沢山あります。それは「私が頑張った証」だと思っています。この場を借りて、皆さんにお願いしたいことが2つあります。1つは輸血についてです。輸血用の血液が足りないということをよく聞きます。私自身はもう献血はできませんが、輸血を必要としている人が今もたくさんいると思いますので、献血に行ける方はぜひ行ってほしいです。もう1つはヘルプマークについてです。私は手術の影響で現在も膝が悪いため、ヘルプマークを付けています。もしどこかでヘルプマークをつけている人を見かけたら、席を譲ったり声がけしたりしてくださると嬉しいです。

編集部まとめ

「長く入院していたので高校生活は楽しめなかった」とのことですが、今は夢を叶えるための大学生活やアルバイトなどもできているとのこと、本当によかったです。医療従事者への感謝や献血、ヘルプマークについての呼びかけなどから、えむさんのあたたかい人柄が伝わってきました。ありがとうございました。

なお、Medical DOCでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。

この記事の監修医師