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~実録・闘病体験記~ 高次脳機能障害ともやもや病に強い想いで向き合う

 更新日:2023/03/27
~実録・闘病体験記~ 高次脳機能障害ともやもや病に強い想いで向き合う

高次脳機能障害はいわば、誰でも加齢に伴い生じる脳機能の衰えが、ある日を境に一気に訪れるもの。闘病者の阿部さんは、「安易に共感されるのは嫌だし、傷つくということを知ってほしい」と語ります。もやもや病と高次脳機能障害の発症から、現在までの想いや体験について阿部さんに話を聞きました。

阿部さん

体験者プロフィール
阿部 類

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岩手県盛岡市在住。1985年生まれ。家族構成は両親、姉、弟の5人家族。現在は一人暮らし。2002年8月に脳出血が起こり、その後もやもや病が発覚。国の研究対象となり、手術はせずに経過観察措置。2010年に2度目の脳出血を起こし、救急搬送される。その後、高次脳機能障害のリハビリに強い病院に転院。現在は盛岡市の放課後等デイサービスで障がい者雇用に至る。高次脳機能障害と付き合いながら働き、高次脳機能障害のピアサポーターとしても活動している。

村上 友太

記事監修医師
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

なぜ入院しているのかもわからなかった

なぜ入院しているのかもわからなかった

編集部編集部

病気の経緯について教えてください。

阿部さん阿部さん

幼少期から脳貧血や過呼吸による不随意運動などの症状はありましたが、もやもや病と判明したのは高校生で、脳出血を発症したときです。8年後、2度目の脳出血により、意識不明で救急搬送されました。その後4週間ほど経過して、少しなら体を動かせるようになったとき、病室にあったテレビのリモコンが何かもわからず、触りながらずっと首を傾げていたそうです。家族には高次脳機能障害が残ると伝えられていましたが、私は毎日、目が覚める度に、なぜ病院にいるのかわからず、パニックを起こしていた記憶があります。倒れて1カ月以上経って、徐々に急性期病院での身体機能のリハビリに取り組み、2カ月後には高次脳機能障害で評判の良い回復期病院に転院しました。

編集部編集部

どのように治療を進めていくことになりましたか?

阿部さん阿部さん

当時、私自身が説明を受けた訳ではありませんが、家族は「体や脳の機能を回復させ、その上で残った障がいを特定し、代替手段を身につけていく」と説明を受けたそうです。

編集部編集部

病気が判明したときの心境について教えてください。

阿部さん阿部さん

当初は、高次脳機能障害がなんなのかもわからないほど、脳機能は落ちていましたので、体の回復に全力を注いでいました。高次脳機能障害のリハビリを始めて、はじめて、そこで自分が失ったものの大きさを認識しましたが、その時点では「自分が奇跡の回復を遂げて、岩手の高次脳機能障害のパイオニアになるんだ」と息巻いていました。

編集部編集部

ちなみに、1度目の脳出血はどのように発症したのですか?

阿部さん阿部さん

1度目は高校2年生のときです。喫煙直後に少量の脳出血を起こしましたが、未成年が喫煙していた(未成年者の喫煙は法律によって禁止されています)ことの後ろめたさもあり、頭痛や強いめまいなどを翌日まで我慢していました。翌日、個人の脳外科クリニックに行き、CTのみで「片頭痛でしょうね」と言われましたが、「そんなレベルじゃない」と中核病院に連れて行ってもらい、MRIで脳出血を確認、即時入院となりました。この後に、もやもや病と診断されました。その夏と冬に、それぞれ1ヶ月弱の検査入院をしました。

自分の経験を活かしたくて修了した大学院

自分の経験を活かしたくて修了した大学院

  ※写真は中学校の支援クラスの特別授業で使用したもの

編集部編集部

高次脳機能障害の発症後、生活にどのような変化がありましたか?

阿部さん阿部さん

急性期の病院では周囲のサポートがありますが、回復期の病院では違いました。簡単なことが一人ではできず、毎日ストレスをためていました。周囲の音や刺激に気を取られて、黙っているだけで疲れてしまいます。後から、感情がコントロールできずに、疲れやすいことも障がい特性だと学びました。半年後に退院すると、遂行機能障害(高次脳機能障害の1つ。目標を設定し、過程を計画し、行動していくことができない)のせいで何もする気が起きず、通いでリハビリをしながら、ダラダラと過ごしていました。友人たちが、たまに外出に誘ってくれることが救いでもありましたが、その度に働いてもいない、何もできない自分の現状を突きつけられ、複雑な気持ちになっていました。

編集部編集部

それでもリハビリと手術を繰り返しながら、大学院を修了されたんですね。

阿部さん阿部さん

大学では福祉政策を学んでいましたが、指導教員との出会いで社会政策全般へと興味が移り、その延長で大学教員を目指していました。県庁福祉課に入り、ほど良いタイミングで退職して、教員に転職しようというのが私の計画で、内定も得られました。その後、県庁の事前研修中に受障して一時は諦めましたが、いまは自分が経験してきた、支援が必要な子どもや障がい者の就労支援に関わりたいと思っています。

編集部編集部

現在は、放課後等デイサービスでの就業や、高次脳機能障害のピアサポーター(自らも障がいや疾病を持ちながら、対人援助の現場などで働く人)として活動されているそうですね。

阿部さん阿部さん

大学教員や今の仕事にも関連していますが、年の離れた弟がいたおかげもあって、昔から大の子ども好きでした。「誰かに何かを伝えたい」という思いが強かったからこそ大学教員を目指しましたし、今の日々を支えているのも高次脳機能障害や、さまざまな障がいをもつ子どもと家族を支えたいという思いからです。自己満足ではありますが、自分の強い思いがなければ障がいと向き合いなから働くことはできないので、半ば自己暗示をかけながら生活しています。

編集部編集部

現在の体調や生活などの様子について教えてください。

阿部さん阿部さん

格段に落ちた脳機能を補うために、様々なルーティンや糖分などのエネルギー補給は欠かせませんが、体調は安定し、高次脳機能障害とは比較的うまく付き合えています。ただ、右半身の感覚は大分麻痺していますし、脳がダメージを受けているせいで両目共に右上1/4が認識できません。職場では、人間関係がなかなか難しいですね。見た目では分からない程に常に気を張っているのですが、それを「障がいを言い訳にして手を抜いている」ことにされてしまうのが辛いです。だからこそ、ピアサポーターとして活動することで、私自身が救われています。

「理解」まではいかなくても、障がいを「認識」してほしい

「理解」まではいかなくても、病気を「認識」してほしい

編集部編集部

もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?

阿部さん阿部さん

どんなにストレスがあっても、タバコだけは絶対にやめろといいます。受傷後のストレスはその比ではありません。そして、辛くみじめな思いを驚くほどするけど、それを乗り越えて、むしろ活かす道を考えるように促します。家庭環境や病気が比ではないほど大変な目に合うけど、逃げること、人を頼ることを覚えれば乗り越えられるから、それを受け入れるように助言します。

編集部編集部

あなたの障がいを意識していない人に一言お願いします。

阿部さん阿部さん

高次脳機能障害は、誰にでもある脳の認知機能の低下が、ある日を境に一気に起こります。表面的な一部だけを聞いて「わかる」、「私だってよくあるよ」といった安易な共感は、人によって感情を逆撫でするかもしれないので気をつけてください。誰にでも想像できるほど、生半可なことではないと思います。

編集部編集部

医療従事者に望むことはありますか?

阿部さん阿部さん

リハビリ関係者だけではなく、医療事務の方、医師や看護師も含めた全ての関係者に対して、動けて話せるように見えても、実は助けを求めている高次脳機能障害者がいることを知ってほしいです。健常者に見えるからこそ、助けてほしくても、うまく伝えられない人が実は大勢います。

編集部編集部

もやもや病に関して伝えたい思いはありますか?

阿部さん阿部さん

もやもや病は、確率は高くないようですが、遺伝する可能性もある病気です。親や兄弟姉妹だけでなく、もっと遠い遺伝の可能性もあるため、避けられないリスクでもあります。私は研究対象の少し特殊な例ですが、しっかりと対策して付き合えば、大事を避けることもできたはずです。遺伝のリスクだけを切り取って、辛い想いをする人がいなくなるように祈ります。

編集部編集部

最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。

阿部さん阿部さん

高次脳機能障害は、事故や脳卒中により、老若男女すべての人に起こり得る障がいです。見た目からは全くわからなくても、少なくとも本人が隠していない障がいに関しては、「理解」まではいかなくても、「認識」と「配慮」していただければうれしいです。自分や自分の大切な人がこの障がいを負った時に、助けになると思います。そんなゆとりのある社会になることを願います。

編集部まとめ

病気に対して強い想いをもって向き合う阿部さん。実態が見えにくいからこそ、病気を認識する大切さを語ってくださいました。闘病する人にとって必要なのは、安易な共感ではなく、理解はできなくても認識しようとする姿勢。見えない病気に対して一人ひとりが認識することで、優しく、ゆとりのある社会になるのではないのでしょうか。

この記事の監修医師