【闘病】「あと2カ月遅ければ突然死も…」と医師 骨盤付近の痛みは“がん”の一種『平滑筋肉腫』だった

初めの症状は骨盤の痛みと疲れやすさ。違和感を感じながらも「若いから大丈夫」と思い込んでいたというゆるさん(仮称)。しかし、消化器内科での検査をきっかけに発覚したのは、心臓に繋がる血管にできた「平滑筋肉腫」でした。全身のがんのわずか1%といわれる希少がんとの診断、セカンドオピニオンを通じた治療方針の選択、そして再発・転移を経験した現在の思いとは。「人生で初めて自分を大切にした」と語るゆるさんに、病気をきっかけに見つめ直した生き方を伺いました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。※2023年6月取材。

体験者プロフィール:
ゆるさん(仮称)
東京都在住。30代。夫と2人暮らし。診断時は事務員を退職直後で無職。2015年に平滑筋肉腫が発覚、2018年に再発、2023年に肺転移を起こす。計3回の入院、手術を行い、現在はCTで経過観察中。病気をきっかけにフリーランスの管理栄養士に転身し、健康相談などを行う。

記事監修医師:
川島 峻(新宿アイランド内科クリニック院長)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
20代で病気になるはずがない、と思っていたら「平滑筋肉腫」を発症

編集部
まず初めに、平滑筋肉腫とはどういった病気なのか教えていただけますでしょうか?
ゆるさん
平滑筋肉腫とは固形がん(血液がんを除くがんの総称)の一種で悪性腫瘍です。固形がんのうち、99%ががん、肉腫はわずか1%で希少がんに分類され、がんと肉腫の違いは発生部位になります。がんは体や臓器の表面を被う上皮細胞から発生しますが、肉腫は非上皮細胞と呼ばれる骨、軟骨、筋肉、血管などから発生します。肉腫の症状は、体の表面の近くであれば腫れやしこりなどがあります。骨の肉腫の場合は痛みが出やすく、そのほかの肉腫は痛みが出ないことが多いです。神経付近や神経に発生した場合は痺れや痛み、麻痺がでることもあります。私の場合は、心臓に繋がる静脈内にできました。このように体の深部に発生した場合は、腫瘍が大きくなってから初めて気づくことも稀ではありません。
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
ゆるさん
ある時から、右側の骨盤付近の痛みと疲れやすさを感じていました。ですが当時20代だったこともあり、病気になるはずがないと過信していて病院には行きませんでした。しかし3週間ほど経つと足を引きずって歩くようになったため、整形外科を受診しましたが異常なし。その後、内科や婦人科も受診しましたが、原因不明との結果でした。さすがに何もないわけがないと思い、最後に消化器内科を受診したところ、運良くすぐにエコー検査をしてもらえました。そこで「肝臓付近に腫瘍のようなものがあるので、今すぐ近くの総合病院を受診してください」と言われ、すぐに救急で受診してCT検査を行った結果、即日入院となりました。
編集部
そこからどのように病名が明らかになったのですか?
ゆるさん
入院して1カ月ほど経ち、精密検査の結果心臓に繋がる下大静脈に腫瘍の可能性が高いものがあることが判明しました。腫瘍が神経を圧迫して骨盤付近に痛みが出たのだろうと言われました。すぐに手術が必要で、悪性の場合は術後化学療法をすることになるので、主治医が紹介する腫瘍内科併設の病院に入院し、抗がん剤治療を始めると説明を受けました。この時、入院まで2週間ほどの期間があったので、がんセンターと腫瘍内科併設病院の2院へセカンドオピニオンを受けに行きました。その結果「現時点で手術によって腫瘍を取りきれた場合、術後化学療法は不要。平滑筋肉腫は抗がん剤の効きが少し悪いのでリスクの方が大きい」と、2院から同じ説明を受けたのです。かなり悩みましたが、術後の入院はやめてがんセンターで経過観察することになりました。初回手術から3年で局所再発が見つかり、またさらに5年後に転移が見つかりましたが、その際はがんセンターから紹介を受けた腫瘍内科併設の病院で手術を受け、現在も通院中です。最初の術後説明の際に医師から「あと2カ月受診が遅かったら突然死の可能性があった」と告げられていました。今でも思い出すとゾッとします。
編集部
そうだったのですね。やはりセカンドオピニオンは大切なのですね。
ゆるさん
これは主観になってしまいますが、希少がんに罹患されている方や疑いのある方は、可能であればがん専門病院への受診やセカンドオピニオンを受けることをおすすめします。私は最初、腫瘍内科が併設されていない総合病院で手術を受け、再発・転移時はがんセンターに紹介してもらった腫瘍内科併設の病院で手術を受けました。やはり後者(腫瘍内科併設の病院)の方が、医師から的確な説明が得られて対応も早く、治療選択の幅が増えたことで安心感がありました。一般的な総合病院では希少がんを扱ったことがない病院も多く、対応に違いが出るのは仕方がないことだと思います。国立がん研究センター中央病院などでは「希少がんホットライン」という電話で相談できる窓口もあります。そこでは、ご自身の近隣の病院の受診先の相談や希少がんに関する悩みも相談できるようです。
病気がブレーキとなり、自分の大切なものは何かを見直すきっかけに。

編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
ゆるさん
最初の数日は病気を受け入れられず、まるで病気が他人事であるように感じていました。ですが、だんだんと重大さに気づき、恐怖と焦りで入院中は人気のない場所で毎日大泣きしていました。情報が少なく、この先どうなるか分からないことが1番怖かったです。初めて両親の涙を見た時は、胸の奥が締め付けられる思いでした。
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
ゆるさん
仕事面で大きな変化がありました。病気をきっかけに、自分が1番大切にしたいものは何かと人生で初めて深く考えました。その結果、まず大切にしなければならないのは自分の心と体、そして時間だと思いました。自分が健康でいなければ大切な人を悲しませることにもなります。それから、自分のペースを守りながら生きていければいいと思ったので、正社員での転職ではなくフリーランスを選びました。病気を未然に防ぐ仕事がしたいと思い、管理栄養士に転身しました。今振り返ってみると、がんになる前よりも自分らしく生きやすくなっています。
編集部
闘病に向き合う上で心の支えになっているものを教えてください。
ゆるさん
夫と実家の家族です。初めて病気が発覚したとき、夫とはまだ結婚前でしたが、2カ月半の入院期間中仕事で疲れていても頻繁にお見舞いに来てくれて、とても心強かったです。よく笑わせてくれるので前向きに過ごせていました。両親、妹たちにもとても感謝しています。父は脳梗塞の後遺症で半身麻痺と失語症があるにもかかわらず、入院期間中は遠方から何度もお見舞いにきてくれましたし、退院後も私の具合が悪いときは沢山助けてくれました。一生分の苦労をかけたので、私ができることはなんでもしてあげたいと思っています。
編集部
もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?
ゆるさん
「自分を労って、もっと肩の力を抜いて大丈夫だよ」と伝えたいです。がんの再発や転移を経験して気づいたことは、私にとってがんが「最大のブレーキ」になっていると感じることです。がんになる前の私には共通点があって、自分以外の何かを優先してしまっていました。仕事に熱中して、睡眠時間を削り生活リズムが崩れた結果、身体が「助けてほしい」とサインを送ってきていたような気がします。完璧思考で自分を追い詰めていたので、これからはもっと自分の心の声に耳を傾けて自分を大切にしてあげたいです。
→(後編)【闘病】若いからと過信しないで。辛いときは自分に寄り添ってほしい
※この記事はメディカルドックにて『【闘病】まだ20代だから大丈夫と思っていたら”平滑筋肉腫”に。「二カ月遅ければ突然死」から変わった人生観とは』と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。