【闘病】「今日は何月何日ですか?」 交通事故による脳の損傷で『高次脳機能障害』に…

事故による脳の損傷をきっかけに「高次脳機能障害」と診断された河野祐介さん。記憶力や注意力の低下、感情のコントロールの難しさなど、外からは見えにくい障がいに戸惑い、「まるで自分の心が他人のものになってしまったようだった」と当時を振り返ります。診断を受け入れられなかった日々、リハビリでの葛藤、そして日常生活への影響……。障がいと向き合いながら懸命に前を向こうとする河野さんの体験を通じて、高次脳機能障害という“見えにくい障がい”への理解を深めていきます。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年3月取材。

体験者プロフィール:
河野 祐介
大阪府在住、1974年生まれ。母、兄、妹の4人家族。2017年4月、ワンボックスカーと衝突する交通事故に遭う。意識が戻るまで約50日を要した。その後、高次脳機能障害の診断を受け、大学病院での入院生活がスタート。退院後はリハビリを兼ねて定時制高校へ入学したが、通信制に転学し、2022年3月現在合格発表を待っているところ(取材時)。仕事は障がい者雇用で老人ホームの清掃や入居者の衣類の洗濯などで、無理のない範囲で働いている。

記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
目次 -INDEX-
突然の事故で高次脳機能障害に

編集部
高次脳機能障害と診断されたときの経緯について教えてください。
河野さん
大学病院に入院しているときに診断を受けました。母から、私は事故に遭ってここにいることを説明されましたが、少しも実感は湧きませんでした。 当時、事故前後の記憶はなく、警察の調書と医師・家族の説明でそのことをあらためて知ることになりましたね。
編集部
高次脳機能障害とはどのような病気なのでしょうか?
河野さん
けがなどで脳の損傷によって起こる病気で、記憶力、注意力が低下したり、感情の調整が難しかったり、人によってさまざまな症状を伴います。
編集部
高次脳機能障害と聞いたときどう思いましたか?
河野さん
病院のソーシャルワーカーに「高次脳機能障害の説明をするので」と言われましたが、「私はそんな病気ではない」「間違ってるんじゃないですか?」と少しも認めず、馬鹿げたことを言っていると思っていましたね。障がいを受け入れられず、感情が乱れて抗ったのかもしれません。
編集部
初めは受け入れられなかったのですね。病院ではどのような検査をしましたか?
河野さん
医師、研修医の方が毎日病室に来て、「今日は何年・何月・何日ですか?」「何曜日ですか?」といろいろな質問をしていました。簡単な質問でしたが、あまり正確に答えられずにいました。ほとんどが経過観察だったのかも知れません。高次脳機能障害に関しては、言語聴覚士の方にいろいろな検査をしてもらいました。大学病院、リハビリ専門病院、今、通院している高次脳機能障害専門病院の言語聴覚士さんに何度も検査をしてもらっています。
編集部
治療はどのように進めて行くと医師から説明がありましたか?
河野さん
特に私にはなかったように思います。母や私の家族には説明があったかもわかりませんが。
体は自分で、心は違う誰かになってしまったような日々

編集部
病気を受け止めたときの心境について教えてください。
河野さん
私自身のことではなく、他人事のように聞いていました。まるで映画の中のストーリーを聞いているような、そんな心境でした。
編集部
高次脳機能障害を発症してから生活面ではどのような変化がありましたか?
河野さん
物音にとても敏感になっていました。電車に乗っていると人の笑い声が気になり、イライラとしていましたし、これから何をどうしたらいいのかも分からなくて不安の中にずっといました。「何が不安なのか?」と聞かれても、自分でも何が不安なのかさえ理解できていなくて、人に会う事も煩わしくてしかたがない。体は自分自身ですが、まるで心の中は違う誰かになってしまったようでした。
編集部
リハビリはされましたか?
河野さん
はい。色々やりました。今思い出せるのは、1枚の用紙にスタートとゴールを書いて、指定されたチェックポイントを通りゴールまで辿り着くという、すごろくのようなものです。あとは、「月→団子」「歯ブラシ→歯磨き粉」「お風呂→シャンプー」など、複数の関連するものを言語療法士が言い、それを暗記して私が復唱するといった訓練もしました。そのほか、100から7ずつ引き算をして答えていくというリハビリもしました。
→(後編)【闘病】医師、看護師、家族、周囲の支えがあって今がある
※この記事はメディカルドックにて『【闘病】交通事故前後の記憶なく、突然「高次脳機能障害」に』と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。