【闘病】”寝違え”ではなく難病「後縦靭帯骨化症」だった 『治らないかも』の言葉に絶望

突然の首の痛みと手足のしびれから始まったmicoさん(仮称)の病気。それは「後縦靭帯骨化症」という難病でした。数々の病を経験しながらも、一度は前向きに歩み始めていた彼女を再び襲った重い現実――。診断確定までの葛藤、長期入院と手術、そして闘病の中で見つけた心の支えについてお話を伺いました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2023年11月取材。

体験者プロフィール:
micoさん(仮称)
母、息子と3人で暮らす50代の女性。うつ病の闘病中の2021年春頃に突然首の痛みを感じ、次第に手のしびれや倦怠感、食欲不振などの症状が現れ始める。整形外科を受診すると「頚椎椎間板ヘルニア」と「変形性頚椎症」との診断を受ける。しかし、診断に疑問を感じて文献を調べるうちに別の病気の可能性に思い当たる。神経内科を受診・精査したのち、再度整形外科で「後縦靭帯骨化症」の確定診断となった。11時間にわたる手術や寝たきり生活を経て、現在は車の運転ができる状態まで回復している。

記事監修医師:
北村 亜以(医師)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
人生で2度目の難病に。生きる気力を失う日々

編集部
micoさんの経験した後縦靭帯骨化症とはどのような病気ですか?
micoさん
「後縦靭帯骨化症」は、脊椎に囲まれている脊柱管の前方を縦に走る後縦靭帯が骨化し、脊柱管の内部の神経根が圧迫されて感覚障害や運動障害が生じる難病です。進行すると手足の麻痺が進行し、歩行障害や排尿・排便障害も起こります。
編集部
最初に症状が現れたのはいつ頃ですか?
micoさん
2021年の春頃です。当時の私はうつ病で闘病中でした。最初は突然の首の痛みから始まり、肩こりか寝違えだと思っていました。しかし、徐々に痛みがひどくなって鎮痛剤も効かず、手のしびれ・倦怠感・食欲不振・疲れやすさを感じ始めました。さらに、頭が割れるかと思うほどの頭痛と吐き気も起こり、整形外科を受診したのが最初のきっかけです。
編集部
診断はすぐにはつかなかったと伺いました。
micoさん
最初の診断は「頚椎椎間板ヘルニアと変形性頚椎症」でした。神経ブロック注射と鎮痛剤、ビタミン剤を処方してもらい、首の牽引も行いました。しかし、それらの処置の効果は一時的にしか続かず、「本当にヘルニアだろうか」と疑問に思い、インターネットや文献で調べ始めました。
編集部
調べている間も大変だったのではないでしょうか?
micoさん
そうですね。当時は「副腎機能不全」や「シェーグレン症候群」「重症筋無力症」などいろんな病気を疑いました。しかし、いろんな検査を行っても確定診断ができず、時間が経つほど症状も悪化していきました。スプーンやフォークが使えなくなり、起き上がりや立ち上がりにも苦労するようになった頃には、体重が20㎏ほど減少していました。確定診断を受けたのは、神経内科で精密検査を行ってからのことです。
編集部
後縦靭帯骨化症と診断された時の心境を教えてください。
micoさん
診断されて最初に思ったことは「また病気か。それも、人生で2度目の難病になってしまったか」でした。実は若い頃からいろんな病気に罹患しており、「特発性血小板減少性紫斑病」「子宮頸がん」「甲状腺機能低下症」「うつ病」を経験しています。今回の後縦靭帯骨化症も手術が非常に難しく、治らないかもしれないと言われたときに地獄の底に突き落とされたような絶望感を味わいました。
編集部
後縦靭帯骨化症ではどのような手術を経験されたのですか?
micoさん
先生からは「原因部分である脊柱管を広げ、骨に扉を開けるような手術を行い、そして骨にスクリューを打ち込む」といったことを丁寧に説明されましたが、素人の私には理解できないものでした。総合病院で手術したのですが、大体11時間かかったそうです。
編集部
手術後は大変だったのではないでしょうか?
micoさん
私もまるでのたうち回るような痛みを想像していたのですが、それほどでもなくてホッとしました。首の傷は20cmほどで、傷口もテープを貼って回復を促したので抜糸もありませんでした。
編集部
手術後はどうでしたか?
micoさん
約半年の入院生活でしたが、トイレでの下着の脱ぎ着やペットボトルの蓋を開けること、入浴に至るまで看護師さんの介助が必要でした。体が思うように動かないこと自体がストレスになり、肌はボロボロ、全身に湿疹も出るほど疲れ果てていました。リハビリを本格化させたのは、リハビリ専門の病院に転院してからです。
前向きに歩み始めた矢先の病気の告知…「2年経った今でも思い出したくない」辛い記憶として残る闘病期間

編集部
病気が発覚する前はどのような生活やお仕事、活動をされていましたか?
micoさん
当時はうつ病の闘病中で、仕事は内職をしていました。ですが、何とか前向きに進もうと体調を見て家事や料理をして、日々の料理をSNSに載せるといった活動をしていました。食育インストラクターの資格も取得し、ありがたいことに1万人以上のフォロワーの方々と交流させていただいていました。私のレシピを見て作ってくださった方が、「近所の方に差し入れをしたら大変気に入ってくださった」という声もあり、本当に嬉しかったのを憶えています。
編集部
短歌もお得意だそうですね。
micoさん
独学で始めたのですが、作品がNHK全国短歌大会で特選に選ばれるなど闘病中でも嬉しいことがあり、このまま前向きに進みたいと考えていました。しかし、その矢先に後縦靭帯骨化症に罹患したので、とてもショックでした。
編集部
一時期はかなり気落ちしたのではないですか?
micoさん
診断を受けた時、私にはもう病気と闘うほどの気力は残っておらず、心身共に疲弊しきっていました。レシピの執筆も短歌もやらなくなり、「病気に負けずに頑張る」という前向きな気持ちにはなれませんでした。発病から2年経った今でも、決して前向きに闘病しているわけではありませんが、それでも私は今生きています。
編集部
とても辛い期間だったと思います。
micoさん
私は「良い患者」であろうとして、自分の辛い気持ちに蓋をしていたのだと思います。「弱音は吐くべきではない」「世の中にはもっと大変な方もいる」と思い、闘病を黙って一人で我慢する癖ができてしまったのかもしれません。罹患してからの2年間は本当に辛く、今でもはっきりと思い出したくない辛い記憶です。最もひどい時はどんどん痩せていき、ほぼ寝たきりで床ずれがひどく痛みました。手のしびれで当たり前の日常生活ができなくなり、ベッドで毎日病室の天井を眺める生活でした。ですが、過去に一度難病を体験した時のことを思い返し、母の愛情のおかげもあって前向きに生きようと思えるようになりました。
→(後編)【闘病】日常生活がリハビリになり、できることが増えるのが楽しく思えてきた
※この記事はメディカルドックにて『【闘病】“後縦靭帯骨化症”と告知。「病気と闘う気力は残っていない」と思いながらも続けた闘病生活』と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。
なお、メディカルドックでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。