【闘病】父から遺伝した『少しずつ身体の自由を失っていく病気』 脊髄小脳変性症

突然、身体の動きに違和感を覚えた佐藤さん。階段の上り下りや子どもを抱いたときに感じた「不安」が、やがて美容師という仕事を断念するほどの現実となりました。診断された病名は「脊髄小脳変性症」。少しずつ身体の自由を奪っていくこの進行性の難病と、どう向き合い、どう生きるのか――。今回は、佐藤さんが語る病との共生、家族や仕事との関わり、そして変化する日常を追いました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年5月取材。

体験者プロフィール:
佐藤さん(仮称)
1969年生まれ。妻と3人の子どもと同居中。確定診断時は美容師/スタイリスト兼オーナー。2011年1月、第2子が産まれる直前(2週間前)に脊髄小脳変性症と確定診断を受ける。発症時期は正確には分からず、現在も脳神経内科に通院中。

記事監修医師:
村上 友太(東京予防クリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
目次 -INDEX-
「とうとう来た」遺伝性の病気

編集部
脊髄小脳変性症とはどのような病気ですか?
佐藤さん
脊髄小脳変性症は原因不明の病でして、小脳が萎縮することによりさまざまな運動神経が失調し、少しずつ身体の自由を失っていく病気です。脊髄小脳変性症には、遺伝性の型と遺伝性ではない型があるそうです。私の場合は遺伝性の脊髄小脳変性症です。分かっている範囲では、祖母から父、そして私へと遺伝しています。直系親族ではこんな感じで遺伝しています。
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
佐藤さん
最初の違和感は2009年頃、階段の上り下りや、当時2歳の第1子を抱いて歩くときに「怖いな」と不安を感じたのです。2010年には病院も受診しましたが、ドクターには「まだ若いから大丈夫」と言われ、MRIでも脳全体に問題がない状態でした。翌年、やっぱり不安だったのでもう一度MRIを撮ってもらったところ、脊髄小脳変性症が確定しました。
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
佐藤さん
「治療はとくに何もできない」と言われました。また「セレジストという薬はあるが、症状が改善する人はあまりいない。薬の服用と定期的な通院で経過観察する」とのことでした。脊髄小脳変性症と確定診断されたものの、当時日本では遺伝子検査を行っていなかった(現在は日本でも遺伝子検査を行うようになっています)ため、検体をアメリカまで送らなければならず、費用が高額になるとのことでした。また、型が判明しても特効薬があるわけではなく、治療法は変わらないので、遺伝子検査は受ける必要がないとのことでした。
確定から5年で美容師ができなくなった

編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
佐藤さん
遺伝性のため、病気になるのではないかと1番恐れて悩んでいたのは高校生の頃でした。そのせいか、判明した時はそれほどショックではありませんでした。「きたか」とか「やっぱりか」と思いました。しかし、美容師の仕事が出来なくなったときには絶望しました。
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
佐藤さん
確定診断を受けてからは「今しかできない」と思い、新たなカット技術を学んだり、ゴルフを始めたりしました。診断後5年で手の震えによって美容師ができなくなり、診断後12年目の今(取材時)は、何とか自分のことは自分でできているという状態です。仕事は美容室オーナーとなって現場を退き、妻が店長としてお店に立っています。
編集部
病気に対して思うことはありますか?
佐藤さん
症状は割とゆっくり進行すると何かで読みましたが、体感としてはとても早く、あっという間に感じました。どこがゆっくりなのか分からず、怒りすら覚えました。SNSなどで知り合ったほかの難病の方に比べると、進行がゆっくりなのかもしれないと最近理解しました。脊髄小脳変性症にはいくつかの型があって、中にはとても進行が早い型もあるようです。
編集部
入院や治療の内容を教えてください。
佐藤さん
入院はありません。治療も先述のとおり薬(セレジスト)の服用と経過観察、リハビリのみです。リハビリは、介護認定を受けていないためできる期間も短く、施設に行くのもしんどいので今は行っていません。
編集部
現在の体調や生活などの様子について教えてください。
佐藤さん
歩くとふらつきも強く、車いすの購入を迷っています。今後の病状の進行具合にもよるので、車いすの種類も自走式か、自分で動かせる電動のものがよいかどうかも悩みます。
※この記事はメディカルドックにて《【闘病】「脊髄小脳変性症」 父・祖母から遺伝した『治療法はない』病》と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。