【闘病】「胸が片方なくなった」というショック… ステージ3『乳がん』 辛かった抗がん剤治療

青木満美子さんは、軽い気持ちで受けた乳がん検診で「悪性腫瘍・乳がん」と診断されました。そこから始まった、全摘手術、抗がん剤治療、放射線治療、そしてホルモン治療と続く長い闘病の日々。青木さんが実際に経験した治療のプロセスと、その中で感じたことや学んだことについて語ってもらいました。

体験者プロフィール:
青木 満美子
神奈川県在住、1975年生まれ。夫、長女、次女、本人の4人暮らし。診断時の職業は専業主婦。2017年に左側乳房の乳がん(ステージIIIルミナルA)と診断。左側乳房全摘出およびンパ郭清術を受け、病理検査でリンパ節23個への転移が判明。術後は抗がん剤、放射線、ホルモン剤の治療を受ける。術後4年目の現在、週に何日か働きつつ、ホルモン治療の影響である更年期症状と戦う日々を過ごしている。

記事監修医師:
井林 雄太(田川市立病院)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
私の乳がんは「全摘出でないとたぶん取り切れない」

編集部
何がきっかけで乳がんがわかったのでしょうか?
青木さん
風呂あがりに洗面所で鏡を見ていた時、左右の乳首の高さが違うことに気づきました。いつからだったのかはわかりません。触ると左側の乳首の裏側にしこりがありました。乳がん検診は行ったことがなかったのですが、ちょうど検診クーポンが来ていたので「これ使って調べてもらおう」くらいの軽い気持ちで検診を受けました。
編集部
乳がん検診で、特に記憶に残っていることなどありますか?
青木さん
触診の際に医師から「今日は時間ありますか? このまま検査をいくつかした方がいいと思うのですが」と言われたので、そのまま検査を受け、さらに「一部細胞を取る検査をした方がいいと思うので、今から検査させてください」と針生検まで受けました。一週間後にはっきりと「悪性腫瘍 乳がん」(ステージIIIルミナルA)と診断されましたね。
編集部
どのような検査を受けましたか?
青木さん
最初に検診へ行ったのが地元のクリニックでしたが、そこでは触診、マンモグラフィ、超音波、針生検を受け、乳がんと確定しました。次に大学病院を紹介され、改めてマンモグラフィ、超音波、MRI、PET検査を受けました。
編集部
「大学病院へ」と言われると恐いですね。
青木さん
確かにそうでしたが、クリニックで最初に診てもらった医師が所属する大学病院でしたので、ずっと同じ先生に診てもらうことができ、その安心感はありました。大学病院では「手術は避けられない」という暗黙の了解のような雰囲気がありました。乳がんの検査と同時に術前検査(心電図や肺活量など)もあり、「ああ、全身麻酔に備えて調べられてるな」と密かに思っていました。
編集部
乳がんと告知されたとき、どのような心境でしたか?
青木さん
「ああ、やっぱりか」の一言です。当時、元女性プロレスラーや著名タレントさんのがんのニュースが流れていた時期でした。「まさかね」と思いつつも、検査を受けるうちに「そうなのかも」と、徐々に確信に変わっていきました。ただ、死ぬことまでは考えがいきませんでした。
編集部
どのような治療になると説明されましたか?
青木さん
全ての検査結果が揃って、医師から治療の選択肢を説明されました。乳がんは全摘出か部分切除か、同時に乳房再建術もするかしないかなどを検討しますが、私の場合は説明をされたものの、「全摘出でないとたぶん取り切れず、再発率が上がる危険性がある」との見解でした。手術後の病理検査でリンパ転移が判明した場合は、抗がん剤治療などもする事になるとも言われ、すごくショックでした。
編集部
治療について、不安になりませんでしたか?
青木さん
当初はとても不安でしたので、入院中は抗がん剤についての情報を集めたり、看護師や医師に質問をしたりしました。早く教えてもらえて良かったと思っています。主治医は「次はこの治療がある、こういう事が辛いかもしれないけど、乗り切る手伝いをしますので、一緒にがんばっていきましょう」とわかりやすく、励ましになる言葉で常に話しかけてくれました。そのため恐怖心は薄らぎ、落ち着けました。私より家族がショックを受けて動揺し、その対応が大変でしたね(笑)。
編集部
告知を受けてから、治療開始までの生活はどうでしたか?
青木さん
私は専業主婦でしたが、子供たちの学校や習い事など、多方面への説明などが大変でした。学校の先生には恵まれ、とても親切にサポートしてもらえました。おかげで次女は「私が乳がんになり、胸が片方なくなった」というショックを受けてから、それを理解して立ち直るまでが早かったですね。
乳がん治療は辛かったけど、主治医に恵まれた

編集部
どのような治療内容でしたか?
青木さん
まず手術で左側乳房全摘出術とリンパ節の掃除(郭清)をしました。その後、約半年間の抗がん剤治療(FEC療法を4クール、ドセタキセルを4クールの全8クール)ですが、これが本当に辛かったですね。
編集部
抗がん剤ではどのような辛さがありましたか?
青木さん
最初に医師から「人によっては働きながら抗がん剤治療をしている」と聞いていましたので、副作用の程度は個人差があるとは思っていました。実際に抗がん剤治療が始まってみると、一番辛かったのは吐き気と倦怠感です。吐き気に関しては「もう薬はない」というほど、医師に色々と処方してもらうぐらい辛かったですね。倦怠感もひどく、投与後の数日間は寝込んでしまい、日常生活が送れませんでした。ただ、髪が抜ける事は悲観的に考えず、「色んなカツラが楽しめる、坊主にできる」と楽しむようにしていました(笑)。
編集部
抗がん剤も1種類ではないのですね。
青木さん
はい。2つ目の抗がん剤「ドセタキセル」では、全身の痛みで脂汗が出るほどで、医療用麻薬の一歩手前の強い鎮痛薬を使いました。しかし鎮痛薬を飲むと何時間も眠ってしまうので、やっぱり数日間は思うような日常生活が送れませんでした。辛すぎて、もうやめたいと何度も思いました。こんな辛い思いをしても再発率が38%もあり、「再発したらまたこんな辛い目にあうのか?」と思うと、体調不良、メンタル面も落ちる一方でした。
編集部
抗がん剤の副作用に医師はどのような対応をしましたか?
青木さん
主治医は診察の度に治療の辛さを聞いてくれて、「あと3回だから乗り切りましょう、つらい副作用と戦う“武器”(薬)は用意していますので、言ってくださいね」と励ましてくれました。また肝機能が悪くなったのと、抗がん剤投与日に病院で少し気持ち悪くなったのを見て「こんなに頑張ってるんだから、ちょっと休みましょう」と休薬期間を設定してくれました。体調とメンタルを整えて次の抗がん剤へ臨んだため、全8クールを完走できたと思っています。
編集部
抗がん剤の次の治療は?
青木さん
放射線治療とホルモン治療でした。放射線治療は全25回で、ひどい放射線性皮膚炎(やけどのような状態)が出ました。ホルモン治療は毎日ノルバデックスという薬を飲むだけですが、女性ホルモンを止める治療ですので、更年期障害に似た疲労感、ホットフラッシュなどの症状が出ます。私のホルモン治療は10年間続きますので、主治医は「辛いと思った症状は教えてください」と話してくれます。最近は日常生活が送れていますので、主治医からは「病的なものじゃないから大丈夫。慣れて」と励まされています(笑)。
編集部
現在は何に気をつけていますか?
青木さん
脇のリンパ郭清術を受けていますので、左側の腕はリンパ浮腫にならないよう常に気をつけないといけません。そのための注意事項がとても細かいです。蚊に刺されないように、ケガしないように、日焼けはダメ、重いものは持つな、などです。それでもリンパ浮腫になればその治療が必要となるため、全力で予防しないといけません。あと再発と転移に気をつけて、自分の体や体調に注意するようになりました。
※この記事はメディカルドックにて《【闘病】「胸は片方だけになっても、胸を張って生きる」乳がんを乗り越えた主婦》と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。