【闘病】大きくなる「乳がん」のしこりに『見て見ぬふりをしてしまった…』
2018年、右胸のしこりに気づいたことから始まったさほさん(仮称)の乳がん治療。その道のりは決して平坦ではありませんでしたが、家族の支えや自身の決断力を武器に、新たな日常を築き上げています。「治療中の辛さや不安、そしてそれを乗り越えるための工夫」を語ってもらいました。
体験者プロフィール:
さほさん(仮称)
東海地方在住、1984年生まれ。1児の母、子供・夫との3人暮らし。両親も近くに在住。2018年に乳がんと診断され、抗がん剤治療後に右胸の全摘出手術を受ける。術後の分子標的薬による抗がん剤治療や、放射線治療を経て、現在はホルモン療法を継続中。体調は万全ではないものの、普通の日常に感謝しながら過ごしている。ブログ「さほDiary」
記事監修医師:
楯 直晃 先生(宮本内科小児科医院 副院長)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
さほさん
2018年の7月に右胸のしこりに気付き、近所の乳腺科を受診しました。超音波検査、マンモグラフィを受けたのですが、そのときの結果は陰性でしたね。ただ、そこからの3ヶ月の経過観察中、どんどん大きくなるしこりに、見て見ぬふりをしてしまいました。なぜか大丈夫な気がしたし、そう思いたかったからです。その後10月に再び近所の乳腺科へ行くと、すぐに市民病院を紹介されることに。市民病院では、超音波検査と組織検査を受け、その3日後に造影剤を使ったCT検査も受診。そして1週間後、乳がんを告知されました。
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
さほさん
浸潤性乳がん、ステージIIIAだと説明されました。その時点でしこりが大きくなりすぎていたのと、リンパ節に転移していることから、手術よりも抗がん剤治療を先にすることを勧められました。全身にまわってしまっているがん細胞を早くたたいたほうがいいと。
編集部
ほかにも治療の選択肢はありましたか?
さほさん
先生の説明に疑問はなかったし、そうした方がいいんだろうなと思って主治医の先生が勧める治療内容でお願いしました。また、しこりの大きさから全摘出は免れないと最初から言われ、再建手術も形成外科の先生に話を聞いて、受けたくなったら受けるということに落ち着きましたね。あれから2年経ちますが、胸がなくなって困ることは特にありません。
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
さほさん
しこりがかなり大きかったので「ああやっぱりか」という気持ちでした。母親も乳がんになっていたので、「いつか自分もなるんだろうな」という予感もありました。母親も乳がんで全摘出していたので、話があったときにはあまりショックを受けていません。でも30代半ばだと、ちょっと早いなという気持ちもありました。
編集部
現在も治療しているのですか?
さほさん
現在は、ホルモン療法を継続中です。30代半ばなのに、ホルモン療法からくる更年期障害に悩んでいます。ホルモン剤の影響からか、肝臓の数値が悪くなったり、けっして体調が万全とはいえないものの、普通の毎日を過ごせていることはありがたいなと思っています。
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
さほさん
もともと、3歳の娘を育てながらフルタイムで働いていましたが、職場と相談して治療中は休職させてもらえることになりました。正直、子育てしながらのフルタイム勤務はかなりストレスだったので、それと比べれば、治療中は抗がん剤で体調もしんどかったですが、心は穏やかでした。
編集部
治療中大変だったことはなんですか?
さほさん
一番きつかったのが、抗がん剤治療の「AC療法」のときです。点滴日と次の日は、自分が生きるのに精一杯だったので、娘を実家に預けていました。近くに元気な両親がいたことは本当にラッキーです。ただ、私が入院して娘の情緒が少し不安定になってしまったのが、かわいそうでつらかったです。抗がん剤治療がきつかった半年は、娘には我慢ばかりさせていたと思います。
編集部
ご家族のサポートがあったんですね。
さほさん
そうですね。旦那の家事能力が高かったので、洗濯、料理ともに私が寝込んでいても特に問題なかったです。私の仕事でのストレスが少なくなったからなのか、旦那が病気の私を気遣ってくれるようになったからなのか、喧嘩がすごく減りました。
※この記事はMedical DOCにて《【闘病】「あのとき乳がんから目を背けなければ…」検診とセカンドオピニオンの大切さ》と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年8月取材。